2012年5月3日木曜日

知っtakaの仏像話 第1回 太秦広隆寺

東京の会社に勤務していたが、30歳ごろから定期的に大阪出張があり、時間に余裕があることが多く、ビジネスモードをクールダウンするために、京都で途中下車を重ねた。
鴨川べりをぶらり、時間のある時は、当時走っていた市電に乗って、南禅寺付近から続く哲学の道を歩いたり、四条大宮から京福にのって嵐山に足を延ばした。
https://www.google.co.jp/search?q=%E5%93%B2%E5%AD%A6%E3%81%AE%E9%81%93&hl=ja&prmd=imvnsl&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=EEyiT7LaOaL4mAWe3dnWBw&sqi=2&ved=0CDwQsAQ&biw=850&bih=489
(哲学の道Photo)
週末の出張の時は、安いビジネスホテルを探し、嵯峨野や醍醐寺の山の伽藍に登った。
自然、嵐山、嵯峨野に出向く事が多く、市電が亡くなった後も、四条大宮から京福電鉄に乗って嵐山に向かい、渡月橋近くの茶屋で桜もちを食したり、化野念仏寺までの嵯峨野の竹林を歩いた。途中にあった祇王寺や常寂光寺の小さな庭が好きだった。
京福電鉄そのものが、帷子ノ辻、蚕の社など独特の駅名が多く、乗務員が切符にはさみを入れに客の間を歩いていたように思う。
いつものように京福に乗って、嵯峨野に向かう途中、「太秦広隆寺」の大きな石の門柱に目が留まり、突然の途中下車で広隆寺を訪ねた。後から知ったが、太秦は渡来系の豪族「秦」氏がルーツだ。
弥勒菩薩半跏思唯像
山門をくぐり、宝物館を拝観する事にした。その宝物館の中心に、さほど強くない光でスポットライトを浴びた、弥勒菩薩半跏思惟像が置かれていた。あまり言葉はいらないだろう。そして、弥勒菩薩を守るように、4、5体の国宝仏、10体以上の重要文化財指定の仏様が並んでいた。不空検索観音,四天王,12神将・・・・。仏様たちの名前も、違いも全く分からない私だったが、それぞれの仏様の造形の美しさに感激している自分がいた。
広隆寺・不空羂索観音  

                                                                                                  
仏像を解るようになりたい!!
自然と自分の心の中から絞り出された言葉であったと思う。

ここから30年を超える仏様との出会いがスタートした。


0 件のコメント:

コメントを投稿