《京都の仏像》
京都の仏像と言っても、平等院鳳凰堂(宇治市)、浄瑠璃寺(木津川市)、観音寺(京田辺市)などは印象としては京都のイメージでは捉えにくい。
特に、浄瑠璃寺などは近鉄奈良駅前のバスターミナルからのアクセスになるし、京田辺の観音寺も奈良に向うまさに途中の三山木駅からだ、ほとんど西大寺駅の真近かに位置している。
今回は、まだまだたくさんある京都にある印象的なお寺と仏様について書いてみよう。
薬師如来立像 |
神護寺への参道 |
大原三千院~♪、栂尾高山寺~♪・・。
恋に疲れて訪れたわけではないが、是非とも訪れる甲斐のある場所だと思う。
左は神護寺に向かう石畳の参道、真夏に登れば、まさに汗だくだく・・。
だが、そこに居られたのは、右にある
「国宝、薬師如来立像」
あの、写真家土門拳が、最も雄々しい薬師様と評していた像だ。彼のちょっと高価な自慢の写真集のカバーの写真が、この薬師如来像だった。
◆飛び立とうとして飛び立たず、叫ぼうとして叫ばず、動と静の矛盾する
要素を一身にもって、高雄山中奥深き黒漆の厨子の中に、薬師如来は
直立している。
(土門拳の薬師如来様を表現したメッセージ)
神護寺には、このほかにどうしても拝観を薦めたい仏様がいる。
奥の院に置かれた五大虚空菩薩坐像(国宝)。
突然の拝観はかなわないので、事前にはがきで申し込めば、僧がカギを持って案内してくれる。
五大虚空菩薩坐像 |
Wikipediaよりです。
こんな難しいこと覚えていません。
国宝 五大虚空菩薩像
写真ではわかりにくいが、ほぼ人間と同じくらい
この神護寺は3度訪ねたが、虚空菩薩像は一度しかお目にかかっていない。
この神護寺の参道を下ったところにあるのが、有名な高山寺。
石水院 |
自由に上がることができる。写真は紅葉だが
若葉の頃も、その迫りくる緑にすっぽりと包まれる。
この石水院の縁に寝転んで、しばし、緑の風に身をゆだねた記憶が鮮明に残っている。
ここには、本物ではないが「鳥獣戯画」を真近かに見ることができる。
この後、嵐山『清凉寺』
※清凉寺釈迦像の頭髪、衣文などの様式はガンダーラや中央アジアの仏教美術にその淵源が求められる
三千院、仁和寺などに触れるつもりでいたが、長文になるので、ここで一休みとしたい。
知っtakaさん、清涼寺の仏像は、清涼寺式といって、衣がシンメトリーになってるのも大きな特徴のひとつだと思います。普通の仏像は肩から衣をかけたりして、左右対称じゃないですから。
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