2012年5月24日木曜日

お読みいただいている方もあまりないと思いますが、
GoogleからAmebaに変更中です。
今週、出張やイベントでチョイ時間なく、来週末から再開
します。 知っtaka-man
ずっとGoogleのままです。

2012年5月18日金曜日

≪奈良の仏像≫ シリーズ NO.1


法華堂(三月堂

いよいよ仏像本場の奈良に行こう。何回シリーズになるかどうか全くわからないがとりあえずスタート!!。

奈良周辺で最も数多く訪れたところは、間違いなく東大寺だ。その中でも
法華堂内部


ここだけは、行か ない時はなかっ  
                   た場所、それが法華堂だ。
東大寺で最も古い木造建造物であった法華堂(三月堂)は、春を告げる祭事「お水取り」で有名な二月堂の石段を登る手前に、意外に意外にひっそりと建っている。大仏殿で盧舎那仏を拝観し、そのままニ月堂に向かい、法華堂に立ち寄らない観光客も意外に多い。

しかし、法華堂の中に、一歩中に足を踏み入れた時、、その世界は独特な精神性で迫ってくる。
16体(国宝12体、重文4体)にのぼる国宝、重文の仏像は、さほど広くない空間に圧倒的な大きさで、実に真近かに、そしてむしろ雑然と置かれているように感じる。しかし中央に堂々と立たれた本尊不空羂索観音・日光・月光像を取り囲む16体の仏様の一つ一つから発せられる仏様たちの思いが一つの凝縮されたメッセージとなって、見る者の心の中に響いてくる。 

不空羂索観音像
どう、言葉に表していいのか、難しいが、それは『静寂と無』というような言葉なのかもしれない。
多くの巨大な仏様達からから発せられたメッセージが、自分の前で一つの言葉として伝わってくるような境地とでも言うのだろうか。
私の心の中に浮かぶ言葉としては「無」或いは「空」がイメージされる。

邪念の塊のような私でさえ感じられる精神世界。自分は実に小さな一個の存在となる・・。
怒り、悲しみ、嫉妬など日常の中にいる卑小な自分が一種解放された思いになることができる。
不空羂索観音は「心念不空の索をもってあらゆる衆生をもれなく救済する観音」と言われている。
左日光菩薩 右月光菩薩
像高362.0センチメートル。天平時代を代表する仏像彫刻の1つに数えられている。須弥壇中央部壇上に立つ。像は三目八臂で額に縦に第三の眼を有する。8本の腕のうち2本は胸前で合掌し、両掌の間に水晶珠を挟み、その他の腕は多くの衆生を救うための縄が張り巡らされている。
人の心の中をすべて見抜くような三眼。私はこのお像の前に身を置くといつも畏怖のような思いが湧いてくる。いつもいつも新しい自分に戻れるような思いすらしていた。

また両脇侍で、日の光の温かさで人々を守る日光菩薩と知の力で守護する月光菩薩像は、私がお目にかかった日光・月光菩薩の中では最も美しく、静かに佇んでおられる。。
確かに、細かく見れば両像のお顔はかすかに違う。
私個人は、厳しさを秘めたお顔のように見える月光菩薩により魅かれるところがある。(自己の知の足りなさからか・・・)

法華堂にはこのほか、金剛力士像2体 四天王像、梵天像、帝釈天像など天平彫刻から鎌倉時代までの制作の仏様が置かれている・。 それぞれが素晴らしく、かつ力強い仏様である。
(他に秘仏:執金剛神立像(国宝)12月16日のみ)開扉

この法華堂は昨年から大規模修理に入った。現在、東大寺ミュージアムに宝冠を取った不空羂索像と日光・月光菩薩が置かれているが、あのお堂でお目にかかった雰囲気は感じられない。
法華堂という建物と16体の仏像全体で一つの作品であったと感じる。

工事の終了は25年3月と書かれているが、前のような形で各像が並ぶ事はないらしい。

残念至極!。しかし、あの諸像をこれからも歴史の中に刻んでいくためには仕方がないのだろう。

25年には新しい法華堂が建造され(コンクリート造りの・・)、ご本尊不空羂索観音像が中央に置かれることは
むろんだろう。しかし、今までの脇侍日光・月光菩薩様が置かれる事はないと聞いている。
新しく生れ変わる法華堂に早く訪れたい。そして、その時にまた、新しい存在として前に進もうとする自分を必ず感じることができるだろう。

東大寺編続く・・・。










2012年5月14日月曜日

≪知っtakaの知っtaka話≫

今回は完璧な知っtaka話をしよう!


【如来】
一般に仏像と言うが、いわゆる仏様とは『如来像』をさす。
 釈迦は入滅の約半世紀後、弟子たちの手によって
『釈迦如来像』が誕生した。                             

如来は「悟りを開いたもの」の事で、後に西方浄土を守護する仏として『阿弥陀如来』と東方瑠璃光浄土にすむ仏として『薬師如来』が加わった。また、密教の根本仏で宇宙そのものと考えられてるのが
『大日如来像』だ。
円成寺大日如来(運慶作)
国宝
印相は智拳印

室生寺釈迦如来像(国宝)
一般的には如来像は、悟りを開いたものとして、身体に装飾物をつけておらず、薄い袈裟一枚を身にまとっている事が多い。
(左)
大日如来像は宝冠と一部装飾物をつけている。(右)智拳印は大日如来の大きな特徴。
                                              
釈迦如来と阿弥陀如来の印相
                                                                                                                                             




釈迦如来像は施無畏与願印(せむい よがんいん)という印相が多く、右の写真のように、右手のひら前にむけた施無畏印に、左手の平を上に向け、膝上に乗せる与願印にした例が多い。


薬師如来像は、病気平癒の信仰の仏様で、左手の手のひらの上に薬壷(やっこというらしい)を持っていることが多い。

阿弥陀如来像は印相が独特で、上・中・下とかいろいろな形はあるが、いずれの場合も親指と人差し指(または中指、薬指)で輪を作るのが原則だ。
※薬壷を持っていない薬師如来像もあり、すべての像に当てはまる訳ではないが、阿弥陀像は私の拝観した限りではほぼすべて輪を作っている。

【菩薩】 菩薩には観音菩薩、弥勒菩薩、普賢菩薩、地蔵菩薩、聖観音菩薩等様々な姿、形があるが、
存在の意味するところは「如来になろうとして修業を積むひと」の意味である。
したがって、宝冠や首飾りや水瓶など様々な装飾物を持っている。

【明王】 明王は密教信仰特有の仏像だが、「教えに従わない救いがたい衆生を力づくで帰依させるために、如来
が自ら明王に変化したもの」などと言われている。
東大寺戒壇堂・四天王
不動明王が最もよく知られている。

【天部】 天部は「仏法を守護する護法善神となったものたちの総称」とのことだ。
四天王、12神将、八部衆(阿修羅など)や金剛力士(阿形、吽形)の仁王像などが代表的なものだ。

現在は、この4種類の仏様を全体を”仏像”と表現するのが一般的だと思う。

知識はいくらでも調べることができるが、間違いなく大切なことは、その像の前に身を置いたとき、自分は何を感じるかだけだろうと思う。
美しさか、荘厳さか、力強いか、静寂か、癒しか、感じることはたくさんあるだろう。
そして、その思いはその仏像とその前にいる個人だけに共有できる思いに違いない。

その精神のあり様だけが最も大切にしなくてはいけないものと、私は思っている。

この知っtaka話は、本当のところ、それぞれの人の思い、感じる話で、他人にはどうでもいい事だと思う。
ただ、この数十年の中で、多少知識の蓄積とともに、目の前の仏様との交信が少しく違ったように感じたこともあった。

たくさんの仏像の前に立ちたい!何かを感じたい、心を震わせたい・・・。
人間存在の理解に少しでも近づきたい。

本当に知っtaka話の本領発揮、失礼いたしました。
この項終了です。




2012年5月13日日曜日

清涼寺釈迦如来立像

≪京都の仏像≫

京都で取り上げていない仏様はまだまだ多い。
しかし、本人は奈良を中心とした知ったかぶり仏像話に進みたくて仕方ないが、
ここは、もうしばし我慢をして京都の仏像続編にいこう。

非常に好きか、それほどでもないか迷うところがあるが、やはり『清凉寺の釈迦如来像』に触れない訳にはいくまい。先回ちょっと紹介したが、日本の仏像でそのルーツである大陸の影響を感じさせる仏様がいくつかおられるが、その一つがこの清凉寺釈迦如来像だろう。(頭髪、衣文などの様式はガンダーラや中央アジアの仏教美術にその淵源があることを感じさせる)
清涼寺の釈迦像の最も大きな特徴は、袈裟がシンメトリー(左右対称になっている。仏像博識読者からコメントをいただいた。
確かに他には見られない特徴です。
他には、後程本論で触れるが
『飛鳥寺の釈迦如来像(飛鳥大仏)』
飛鳥寺は、蘇我馬子が596年に創立した蘇我氏の氏寺で、日本最古のお寺とさ  
れ、この飛鳥大仏も度重なる戦火によって、お顔の何分の一くらいしか創建の時
のものではない。
そして、もう一つは法隆寺釈迦三尊像の中心におられる釈迦如来坐像だと思う。
清凉寺の仏様は頭や、衣の形はいわゆる日本的仏像にはあまり見られない。
ただ、そのたたずまいには静謐さと慈悲の心にあふれている。
大変印象的な仏様と思う。
後の二つの仏様は、日本の仏像と明らかにお顔が異なる。共に非常に面長の顔と、厳しささえ感じさせる”目”に特徴がある。インドから連なるニッポン国の文化のルーツを見るように感じる。

三千院阿弥陀三尊像
他にもたくさんあるが、この稿では三千院と仁和寺(写真なし)の
阿弥陀三尊像(国宝)を紹介しておこう。西方浄土で死後の私たちを守っていただけるという阿弥陀様は、普通脇侍に観音菩薩と勢至菩薩を従える。脇侍の観音様は頭上に阿弥陀像を置く。

大原三千院はあまりにも有名で、その庭園や寺全体の雰囲気に人気が集まっているが、この仏様も一見の価値があるだろう。
空也像
もう1か所だけ触れておこう。
京都市内にひっそりとたたずむ『六波羅密寺』だ。
右の写真にある口から6体(南無阿弥陀仏を表す)の阿弥陀様が飛び出している空也象があまりも有名だが、仏像ファンとしてはどうしても、見逃せないのが、このお寺のご本尊「国宝11面観音立像」だ。

原則として12年に1回辰年ご本尊御開帳と言われ、12年に1回の辰年
しか、お目にかかれないが、この11面様は、日本に7体しかおられない
  国宝11面様の1体だ。

後述するが、国宝仏像ベスト30の私の個人リストには、他の6体はすべて含まれている。
辰年の今年、11月から12月にかけての御開帳はどうしても、拝観を実現させたいと強く
思っている。

三千院や仁和寺の阿弥陀三尊像は、中尊寺金色堂の中央に置かれた阿弥陀三尊像と比較的イメージが重なる。
金色堂と同じく、すべての仏像が、創建時は金色に輝く仏の世界を表現したものだ。

個人的には、全くわかりもしない、そして私には似つかわしくない「ワビ、サビ」の印象を強く感じさせる仏様が好きだ。

京都&仏像は、今回か、もう1回で終わりにしよう。

数年前、国宝仏ベスト100なる番組を数年前、NHKで放送していたが、わたくしはそのうち約70体弱の仏様に
お目にかかっている。
京都、奈良、滋賀、兵庫、東京などの仏像から、知っtakaコレクションを、まさに勝手に作っている。
次々回の閑話休題でちょっと触れてみたい。ただし、これは学問的根拠は全くない。加えて何点か重要文化財指定の
仏様も加わっている。お楽しみあれ・・・。(別に楽しみにする話でもないか・・・。)

2012年5月12日土曜日

《京都の仏像》


京都の仏像と言っても、平等院鳳凰堂(宇治市)、浄瑠璃寺(木津川市)、観音寺(京田辺市)などは印象としては京都のイメージでは捉えにくい。

特に、浄瑠璃寺などは近鉄奈良駅前のバスターミナルからのアクセスになるし、京田辺の観音寺も奈良に向うまさに途中の三山木駅からだ、ほとんど西大寺駅の真近かに位置している。

今回は、まだまだたくさんある京都にある印象的なお寺と仏様について書いてみよう。
薬師如来立像
神護寺への参道
栂尾・・。京都駅からバスで向かっても一日がかりになってしまう栂尾(高尾)に向かい合わせのように並んでいるのが、神護寺と高山寺だ。
大原三千院~♪、栂尾高山寺~♪・・。
恋に疲れて訪れたわけではないが、是非とも訪れる甲斐のある場所だと思う。

左は神護寺に向かう石畳の参道、真夏に登れば、まさに汗だくだく・・。
だが、そこに居られたのは、右にある
「国宝、薬師如来立像」
あの、写真家土門拳が、最も雄々しい薬師様と評していた像だ。彼のちょっと高価な自慢の写真集のカバーの写真が、この薬師如来像だった。


◆飛び立とうとして飛び立たず、叫ぼうとして叫ばず、動と静の矛盾する
要素を一身にもって、高雄山中奥深き黒漆の厨子の中に、薬師如来は
 直立している。
    (土門拳の薬師如来様を表現したメッセージ)

神護寺には、このほかにどうしても拝観を薦めたい仏様がいる。
奥の院に置かれた五大虚空菩薩坐像(国宝)。
突然の拝観はかなわないので、事前にはがきで申し込めば、僧がカギを持って案内してくれる。

五大虚空菩薩坐像
虚空蔵菩薩とは広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩、という意味である。そのため智恵や知識、記憶といった面での利益をもたらす菩薩として信仰される

Wikipediaよりです。

こんな難しいこと覚えていません。


国宝 五大虚空菩薩像
写真ではわかりにくいが、ほぼ人間と同じくらい                                          
この神護寺は3度訪ねたが、虚空菩薩像は一度しかお目にかかっていない。                              

この神護寺の参道を下ったところにあるのが、有名な高山寺
石水院
この寺には、著名な仏像はないが、この写真の建物 『石水院』(国宝)がある。国宝建造物だが
自由に上がることができる。写真は紅葉だが
若葉の頃も、その迫りくる緑にすっぽりと包まれる。
この石水院の縁に寝転んで、しばし、緑の風に身をゆだねた記憶が鮮明に残っている。

ここには、本物ではないが「鳥獣戯画」を真近かに見ることができる。



この後、嵐山『清凉寺』
※清凉寺釈迦像の頭髪、衣文などの様式はガンダーラや中央アジアの仏教美術にその淵源が求められる
三千院、仁和寺などに触れるつもりでいたが、長文になるので、ここで一休みとしたい。

2012年5月10日木曜日

<お寺&仏像>

お寺や仏像と言っても、その見方は本当に千差万別だ。
興味の方向としては、伽藍(お寺としての建造物)、庭そして仏像そのものにわかれるように思う。
京都は、まだまだ語るべきお寺も仏像も多い。
しかし、私の個人的な印象で言うと、京都は伽藍と庭の古都、そして仏様としては圧倒的に奈良と、言えるのではないかと思う。
一口に庭園といっても、いろいろな選び方があり、百数十の庭園の中からいかに選ぶか非常に難しい。
ここでは、どなたかがまとめたネットにあったベスト10を参考にした。(ベスト10=庭園がよくわからないが、それなりに私もそれなりに納得のいくものと思う)
1.桂離宮2.修学院離宮3.竜安寺4.仁和寺5.円通寺6.天竜寺7.建仁寺8.東福寺
9.大徳寺10.苔寺と紹介されていた。
このお寺、多分訪れたことのないお寺もある。
また、秀吉がこよなく愛した醍醐寺や銀閣の庭が好きな方もたくさんいると思う。
なぜ、大原三千院が含まれていないのかといった・・多くの方々のつぶやきも聞こえる。
 天竜寺 (国宝)(左)            夢窓疎石の作庭になる
廻遊式庭園                   大徳寺 高桐院(右)             
         
             



これは主観で行くしかない。
苔寺の風情、天竜寺の完成度の高い庭園、思わず息を飲むように何かを語りかける枯山水の名園竜安寺など10年ぶりに訪れても素晴らしい。

私個人としては大徳寺の高桐院が一番落ち着く。最近の京都ブームに合わせるように、京都の名園を訪ねる人々は非常に多い。訪ねた時期によるのかもしれないが、大徳寺高桐院は、訪れる人もほとんど数人しかいない。
大徳寺には6つくらいの別院があり、大仙院、瑞峰院、龍源院そして高桐院の4か所が拝観可能となっている。

大仙院ともう1か所はやはり、枯山水の庭園だったと思う。
高桐院は実にさりげない、そして、静寂に包まれている。この庭に面した縁に腰を下ろし、静かに庭を眺める。
いつもの喧噪や、いつもの自分とは違う自分でいられる。
悩みも焦りも人間関係とも全く無縁になった一個の自分でいられたように今も感じている。

高桐院は細川忠興とガラシアが建てたと記憶している。裏にひっそりと細川家の墓石が並んでいた。

仏様のその前にいる時、私は、そして人々は何も具体的な結果を求めていない、何も願い事をしていない、ただ1人の人間としてその前に身を置いている。

仏像にストレートに話を持っていきたいが、しばし、お付き合いください。







2012年5月9日水曜日

教王護国寺(東寺)

帝釈天

           教王護国寺(東寺)   

京都を仏像という視点で見詰め直した時、どうしても訪れなくてはいけない寺
がある。それが教王護国寺、いわゆる東寺だ。                 


梵天像
京都駅から歩いても15分前後。なんとなく訪れた記憶はあったが、ある時、真剣に仏様を見ようという思いを強く持って東寺を訪ねた。
やはり、そこにあった世界は真言密教を具現化した弘法大師空海の強い、強いメッセージが込められていた。
東寺の講堂は立体曼荼羅と言われている。曼荼羅とは金剛界と胎蔵界の二つの仏の住む世界。理と智をそれぞれ表現していると学んだ。
空海は、まさにこの仏の世界を3次元の形で具
体化した。如来、菩薩、明王、天部からなる仏
の世界を21の仏像で表現している。
中央に真言密教の根本仏=大日如来を据え、その両脇を菩薩群と不
動明王で補佐し、全体を天部が守護するという形になっていると思う。


この天部の中でも、写真にある帝釈天像と梵天像は秀逸だ。
一般的に、凛々しく且つ美しい帝釈天に人気が集まっているように聞いた記憶があるが、
私が2枚目でないからか私は梵天像がすこぶる好きだ。
まさに、手を伸ばせば触れる場所に両像が置かれている。
このほか観音菩薩(国宝4体)不動明王(国宝4体)四天王像など、仏像一つ一つの質が極めて高い。


金堂には重文で大きな薬師如来様と日光・月光菩薩が置かれているが、やはり東寺はこの講堂・立体曼荼羅が圧倒的だ。21体もの仏像が理論的に置かれた場所は他にない!
立体曼荼羅の東寺講堂内部

東寺、侮るなかれ!!

東寺は国宝五重塔も美しく、桜の名所でもある。しかし、講堂立体曼荼羅の世界に、しばし身を置くと、圧倒的な
メッセージとともに、空海の創作した精神世界のイメージが大きく広がり、生きる勇気を与えてもらえるような気がする。

 

2012年5月7日月曜日

「京都の仏像!!」

だからと言って、突然奈良に目が向くはずはない。京都のガイドブックから仏像探しが始まる。京都の仏像と言えば
東寺、醍醐寺、神護寺、三千院、仁和寺、清凉寺など訪ねるところはそれなりにあるが、最初に訪れたのは蓮華法院三十三間堂だった。
http://sanjusangendo.jp/b_2.html

もちろん初めてではない。中央に坐しているひときわ大きな国宝千手観音像とそれに従うかのように側から
迫る計1000体の千手観音様には、最初から圧倒的なインパクトを得ていた。
千手観音様は、確か運慶や快慶、湛慶などの慶派が中心になって制作にかかわったものと記憶しているが、1000体のうちほとんどが、火事で燃えてしまい、原作のままのものは120数体、それ以外は鎌倉時代以降に再制作された。

それにしても国宝のお堂の中に居並ぶ1001体の千手観音像は圧倒的であったことは間違いがない。
しかし、仏像という視点でここを訪れた時、違ったものが見えてきた。
それは千手観音の両端に置かれた「風神・雷神像」と1001体の千手観音様を守るように並ぶ28部衆の美しさだった。金剛力士の仁王様や広目天、帝釈天、吉祥天など・・・。
28体の像の造形美は、一体、一体見事というほかはない。
三十三間堂千手観音像と28部衆(金剛力士像)

千手観音様とまじかに手が触れられる近さに居並ぶ28部衆。
ここに見えるのは金剛力士像と、吉祥天像。


1001体と風神・雷神を加えた30体の国宝物が一堂に会したお寺はない。
ゆっくりと一体、一体の見事さを感じることができる。

素晴らしい!

2012年5月3日木曜日

知っtakaの仏像話 第1回 太秦広隆寺

東京の会社に勤務していたが、30歳ごろから定期的に大阪出張があり、時間に余裕があることが多く、ビジネスモードをクールダウンするために、京都で途中下車を重ねた。
鴨川べりをぶらり、時間のある時は、当時走っていた市電に乗って、南禅寺付近から続く哲学の道を歩いたり、四条大宮から京福にのって嵐山に足を延ばした。
https://www.google.co.jp/search?q=%E5%93%B2%E5%AD%A6%E3%81%AE%E9%81%93&hl=ja&prmd=imvnsl&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=EEyiT7LaOaL4mAWe3dnWBw&sqi=2&ved=0CDwQsAQ&biw=850&bih=489
(哲学の道Photo)
週末の出張の時は、安いビジネスホテルを探し、嵯峨野や醍醐寺の山の伽藍に登った。
自然、嵐山、嵯峨野に出向く事が多く、市電が亡くなった後も、四条大宮から京福電鉄に乗って嵐山に向かい、渡月橋近くの茶屋で桜もちを食したり、化野念仏寺までの嵯峨野の竹林を歩いた。途中にあった祇王寺や常寂光寺の小さな庭が好きだった。
京福電鉄そのものが、帷子ノ辻、蚕の社など独特の駅名が多く、乗務員が切符にはさみを入れに客の間を歩いていたように思う。
いつものように京福に乗って、嵯峨野に向かう途中、「太秦広隆寺」の大きな石の門柱に目が留まり、突然の途中下車で広隆寺を訪ねた。後から知ったが、太秦は渡来系の豪族「秦」氏がルーツだ。
弥勒菩薩半跏思唯像
山門をくぐり、宝物館を拝観する事にした。その宝物館の中心に、さほど強くない光でスポットライトを浴びた、弥勒菩薩半跏思惟像が置かれていた。あまり言葉はいらないだろう。そして、弥勒菩薩を守るように、4、5体の国宝仏、10体以上の重要文化財指定の仏様が並んでいた。不空検索観音,四天王,12神将・・・・。仏様たちの名前も、違いも全く分からない私だったが、それぞれの仏様の造形の美しさに感激している自分がいた。
広隆寺・不空羂索観音  

                                                                                                  
仏像を解るようになりたい!!
自然と自分の心の中から絞り出された言葉であったと思う。

ここから30年を超える仏様との出会いがスタートした。


知っtakaの仏像話 始まり!!

≪知っtakaの仏像話≫

当方、仏像専門家では当然ありません。ただの仏像好きのオヤジです。仏教の勉強をきちんとしたわけでもないし、
歴史の知識も普通の人と全く同じ程度です。
ただ、30年年前ころから、仏像を訪ね歩き、多くの仏様とお会いしてきました。
最近ちょっと仏像ブーム・・。こちとらも、ある明確な理由で自由になる時間が大幅に増えそう。
自分のビジネス人生を振り返って、自費出版をするほど語る内容もないので、趣味の話でも書き連ねてみよう!。

タイトルは「知っtakaの仏像話」、まさに知ったかぶりのオンパレード、私という人間も知っtakaという言葉になんとなく凝縮されている。

ぼちぼち、始めようか・・・・。

最近、JR東海の宣伝もあるのか、京都だけにとどまらず奈良の仏像を訪ね回る人が増えている。特に若い女性の単独行などが大変多いようだ。ここ数年間に開催された「薬師寺日光・月光菩薩」展覧会や「阿修羅展」などに触発されて、仏像ブームに拍車がかかっているようだ。
話は変わるが「山ガール」が非常に増えたのも、屋久島が世界自然遺産に登録され、屋久島の縄文杉に代表される古木に、心の癒しを求めて多くの女性が訪ねたが、そこは島ではなく山であった。その結果、山の魅力を知った女性が山ガールのルーツになっているという話を知人から聞いたが、全く裏付けはない。
某新聞のコラムか漫画に山に登るオヤジを評して、「そこに山があるから登る」のではなくて、「そこに山ガールがいるから・・・」と皮肉ったものがあった。冒頭から話が大幅にスライスしてしまったが、言いたいことは、ブームの裏に女性が大きく関与しているということ、ただそれだけの話だった。

なんとなく、このブームはそれなりに続くように思える。私の仕事仲間や知人の中にも、今までの数倍も関心を示す人が多くなってきた。

前置きばかりだか、表題は作ったものの何を書くか、人様に読んでいただけるものなのかわからない。ひとまず仏像めぐり30年を振り返りながら、まさにつれづれなるままに書いてみよう!
第1回は「広隆寺の半跏像」と出会ってから・・・」でスタートしよう。

広隆寺・半跏思唯像横顔

国宝第1号 広隆寺半跏思惟像 横顔