2012年8月19日日曜日


≪11面観音菩薩物語≫

日本の仏像は如来、菩薩、明王、天部までを言うならの種類はとても私の頭では覚えきることはできない!

覚えてる中で最も印象深く、すこぶる心に止まる仏様が11面観音像だ。日本には現在国宝11面観音様は7体だ
  と記憶している。滋賀高月の渡岸寺観音堂の11面観音像、奈良桜井の聖林寺の11面観音像の二つの仏様は既述  したが、   永島ベスト30の中には6体の11面観音像が含まれている。ただ、1体含まれていないのが、京都六波    羅密寺の11面観音像だ。これは理由は明確、未だ観音像そのものにお目にかかっていないというだけに過ぎない。この11面 観音像は「辰年ご開帳」。まさに今年が辰年、今年の11月から12月にかけての1か月間、12年に1回お目にかか  ることができる。待ちに待った辰年、今年、どんなことがあっても訪れようと思っている。これで間違いなく7体の11 面音様がすべて、根拠のない永島ベスト30の中に含まれることになるだろう。今から楽しみでならない・・。
聖林寺11面観音像 4


渡岸寺観音堂
11面観音像、1
京田辺市・観音寺
11面観音像 2
法華寺11面観音像 3

11面観音は深い慈悲によって、迷える衆生から一切の苦しみをなくしてくれる菩薩で、しかも現世も来世も手を差し伸べてくれると、教えていただいた。

その立姿も、わずかに腰をひねった姿で女神像に例えられることが多いようだ。

多くの衆生を救うという意味からほとんどすべての11面観音像は体のバランスに対して右手が長くなっているようだ




上段に紹介してある11面観音のうち、渡岸寺観音堂(向源寺)、と聖林寺の11面観音はすでに紹介したが、京田辺市(近鉄三山木駅からタクシーで1000円未満)にある観音寺の11面観音像は作品としては、非常に完成度が高いと思う。大きさ、制作方法、時代から聖林寺の11面観音と比較されることが多い。この観音寺を訪問する人は聖林寺よりももっと少ないだろう。誰かの俳句で、京田辺に過ぎたるものがある、その代表がこの観音寺の11面観音と詠われたことを記憶しているが、素晴らしい出来栄えと感じる。このお寺には老住職と若住職の二人のうち、どちらかが説明を直々にしてくれるが、この二人のご本尊に対する思いは実に深い。
そして、何より好きなのは、観音様は木造の本堂にあり、その数10センチ
くらいまで近寄って拝観することができる。
携帯での写真撮影まで許してくれた。(この話はオフレコ・・かも)
次が右に紹介した法華寺の11面観音様だ。この観音様は「光明皇后」をモデルに制作されたと聞いたが、像高1メートルくらい。わずかに腰をひねり右足の親指が、わずかに上を向き、まるで歩き出す瞬間のように見える。
この11面観音も和辻哲郎や亀井勝一郎などが美貌で豊満な女体のようだと讃えていた。
法華寺11面は一年のうち春と秋のある時期にしか公開をしていない。


秘仏六波羅密寺11面観音
左端が今年辰年ご開帳の六波羅密寺11面観音だ。実際にご本体にお目にかかった時に特別に紹介したい。

国宝11面観音の中でも、私には最も若々しく見えるのが女人高野「室生寺」の
11面観音だ。本尊釈迦如来や、薬師如来、重文12神将などとともに室生寺金堂の中に置かれているが、中でも最も美しく完成度の高い仏様が11面観音様だろう。室生寺はこのほか客仏国宝釈迦如来像や、最も小さく最も美しいと言われる
国宝五十塔などもあり、山深き女人高野として、きっと何度も訪ねたくなるお寺に違いない。 
最後になってしまったが、大阪藤井寺市の尼寺「道明寺」の11面観音様だ。
優しくもあり、時には厳しい表情にも「変化」するように見え、全体的に調和のとれた
「彫刻」として見ても素晴らしい傑作であり、この11面観音像も手を伸ばせば触れるようなところで拝観できる。私のメモ帳には毎月18日と25日が拝観日とあった。まだ、一度しか
お目にかかっていないが、もう一度ゆっくりと拝観したいと思っている。




室生寺11面観音
大阪道明寺11面観音
国宝ではないがお目にかかりたい11面観音様はまだまだ、たくさんある。琵琶湖の北、いわゆる湖北には40数体の11面様がおられる。私は車で、訪ね回る旅もしたが、それでも三分の一くらいしかお目にかかっていないだろう。その一つが向源寺に比較的近い木之本駅が最寄駅の石道寺の11面観音像だ。
まるで村娘のようだといわれ、村人たちの深い信仰心で、村の宝物として守られていた。

石道寺11面観音・重文

   羽賀寺11面観音・重文
      11面観音様話ひとまず終了。
最後に、小浜羽賀寺の11面観音様も紹介しておきたい。小浜ではあるがあまりにも不便な里山にあった羽賀寺・・。その11面観音様だ。体中に創建時の朱色を色濃く残しており、長く長く伸びた右手も大変印象深い。小浜のサバや港にあがった新鮮な魚を食べるついでに訪ねてもいい。










2012年8月11日土曜日

聖林寺 11面観音立像

奈良桜井の郊外、奈良盆地を見下ろす小高い丘の上に、むしろ寂れているような感じさえ与える小寺が聖林寺だ。

この本堂に置かれたご本尊地蔵菩薩は、いささか拍子抜けするくらいのんびり、のっぺり(失礼)している。
この本堂の回廊から、石段を上った奥に、国宝聖林寺11面観音像が置かれている。

木心乾漆像(木の枠の上に布や木くずを漆でまとめて、像の形を造る。)
この観音様は奈良時代の終わり、天平時代を代表する傑作と言われている。
11の頭上面のうち、2、3面は失われている。
しかし、像高2m以上、しかも70センチほどの台座の上に置かれた観音像は、一瞬で
人の邪心を射ぬく、眼光をしているように感じる。
おそらく初めてお目にかかった時の私の感情は「畏怖」という言葉ではなかったかと思う。

しかし、その像の前にしばし身を置き、拝観していると、ゆっくりと自分の心が解放され
ていく。最初にお目にかかったのは、もう20年も前になるが、その時、私の頬には
言葉で表すことのできない“涙”が自然と流れてきたことが忘れられない。
(その時、心に大きな罪を背負っていたとも思えないが・・・)

その後、4~5回は訪ねただろう。橿原神宮や桜井周辺には訪れる場所はいくつかあるが、
この周辺を訪ねた時、どうしても訪れないで済ますことがができない観音様だ。

11面観音様はほとんどがわずかに腰をひねり、身体に比してやや長い右手で、迷える
多くの衆生を救うと言われている。
前述の渡岸寺の11面などが代表的と言えだろう。
しかし、この聖林寺の11面様は、正対している。まさに一部の隙も見せないと言っても
過言ではないだろう。

この国宝11面観音像とよく比べられるのが、京田辺市の観音寺の11面観音だ。
私にはいささか違う気がするが、作品としては良く比較をされるようだ。
満開の桜と多武峰
この像は、明治時代に来日した哲学者、美術研究家のアーネスト・フェノロサが激賞したことで知られるようになった。
和辻哲郎も作品『古寺巡礼』(大正8年・1919年刊)でこの像を天平彫刻の最高傑作とほめたたえている。

聖林寺のひそかな楽しみは、拝観者が実に少ないということだ。
最も最近の昨年の訪問では、4,5組の拝観者に巡り合い、にぎわっているという感じさえ受けたが、過去の記憶ではいつも一組か二組であったと思う。
聖林寺本堂横の休憩所では、以前は抹茶を楽しむことができた。今は無いようだが・・。この場所に身を休め、抹茶を楽しみながら、遠く奈良盆地や多武峰を眺めていた。心も時間も解き放たれた自分がいた。
あまり多くの人でごった返すようにはなってほしくはないが、なぜ奈良の仏像拝観者か訪れないのかがわからない。
この近くの長谷寺には老若男女、多くの人々が引きも切らさず訪れるが、この聖林寺にを訪れる人は少ない。
桜井駅からバスで、この聖林寺前を通り過ぎて、中大兄の王と中臣鎌足が蘇我氏打倒の密談を重ねた「談山神社」に向かう人は少なくはない。
間違いなく、この桜井を訪ねることはこれからも相当あるだろう。しかし、談山神社や長谷寺に行くことはないだろう、
だが、この聖林寺に立ちよらない事は無いだろう・・・。


仏像の中でも11面観音が好きだ。現在日本には国宝11面様は7体ある。
次回は11面観音様について書いてみよう。