2013年8月17日土曜日

三重塔

宇治「三室戸寺」(別名アジサイ寺)

京阪電車で宇治駅(平等院)のほんの手前に三室戸寺駅がある。
6月のアジサイのころには、宇治駅からアジサイバスが運行されるようだが、バス運行の無い時、確かバスを乗り継いで訪れた記憶がある(徒歩でも15分くらいという案内があった)。残念ながら、三室戸寺には国宝仏はなかった。
                                     
 国宝仏はないが、十分び訪問の価値ある場所であることにに変わりはない。                                                                     
 この三室戸寺本堂には、全く公開されない「秘仏千手観音」があると紹介されていた。

年齢のせいかよく記憶にないが、この千手観音像、去年か一昨年特別開帳がされたように記憶している。そして、その秘仏も拝観したくてこの三室戸寺を訪ねた。しかし、この秘仏の余りの小ささ(小さくてあまりよくみえない)と、お寺の大仰な対応にいささか閉口した。(しかも、この秘仏、内木戸銭までとっていたような気がする、まるで、長野県のZ寺の秘仏開帳と同じくらい、参拝者を落胆させた・・・。)
この記憶は残念ながら確信はない。もし、これが私の全く別寺との記憶違いであれば、三室戸寺に関係するすべての人々に、心から謝らなくてはならない。
                                      
                                      
                                        


とはいいつつも、この三室戸寺、阿弥陀堂の中に置かれていた阿弥陀三尊像(重要文化財)はなかなかに素晴らしいものであった。阿弥陀如来像に加えて、両脇侍聖観音像、勢至菩薩像の三像がまさに西方浄土から、衆生を迎えるように、優しく私たちを包んでくれているような感覚になることができる。
重文・阿弥陀三尊像




三尊像全体の風情は、京都三千院の国宝阿弥陀三尊像と極めて、雰囲気が似たところがある。
特に両脇侍の雰囲気が大変よく似ている。

阿弥陀如来像本体は、『平等院』『法界寺』の阿弥陀像を
少しく小さくした感じではあるが、法界寺阿弥陀像と同様に定朝作と言われているようだ。真偽のほどは明らかにされてはいないようだが・・。

三室戸寺にはこのほか、
重要文化財として、木造釈迦如来立像(清凉寺式釈迦如来像=法衣(袈裟を両肩からかけている様式)、木造毘沙門天立像が置かれている。
毘沙門天は四天王の一体としては多聞天で、一体で置かれたときに毘沙門天と呼ばれる。戦いの守護神だ。
群雄割拠の時代、戦いの天才と謳われた上杉謙信の部隊の旗は『毘』の一文字で「風林火山」の武田勢と死闘を繰り返している。

三室戸寺への、私の記憶を別にすれば、重要文化財阿弥陀三尊をはじめいくつかの仏像の作品としてのインパクトは決して小さくない。
個人的には、もう一度、時間をかけて訪ねたい場所だ。
ただ、6月のアジサイのころは、やめよう。アジサイでにぎわう寺と、仏像拝観を同じ空間で味わうことは難しいだろう。

鳳凰堂、法界寺そしてこの三室戸寺の阿弥陀像、定朝作の真贋のほどは私にはわかり様もないが、疑いもなく証明されている平等院の阿弥陀如来像を心に刻みながら、残りの2寺を訪ねてみるのもまた、面白きかな・・・ではないだろうか。


2013年8月15日木曜日

東大寺法華堂 拝観再開!http://www.yomiuri.co.jp/stream/m_news/vn130516_3.htm

約3年をかけて修復、増強をしてきた東大寺3月堂が、今年5月18日(土)から拝観を再開した。
法華堂須弥壇及び諸尊像修理事業のため、約3年ほど拝観を停止していたが、今年5月に再開、この修理の間に様々な新しい知見が判明、いろいろな研究が進んでいくだろう。

再開された三月堂に安置されるのは、
 本尊不空羂索観音菩薩、梵天、帝釈天、金剛力士(阿吽)、四天王、執金剛紳(秘仏)の10躰

 脇侍として不空検索観音を守護していた 日光・月光菩薩両菩薩をはじめ、弁財天、吉祥天、地蔵菩薩、不動明王の 
本尊 不空羂索観音
6躰はこれからも東大寺ミュージアムに置かれたままとなる。
 (執金剛神の開扉(12/16)は、平成25年度から従来通り)

 
今回の分離陳列には明確な理由が読み取れる。
三月堂に残された諸像は乾漆造りであり、東大寺ミュージアムに分離して置かれる像は、『塑像』となっている。


(国宝 不空羂索観音像 362.0 cm 乾漆造 天平時代)
三月堂に置かれる塑像は執金剛神像1体、この像は
まさに秘仏、毎年  12月の1日しか公開されない。
しかも、三月堂の中のひときわ、しっかりした厨司の中に安置されている。
残念ながら、10回以上3月堂を訪れた私も拝観したことはない。

ただ、この執金剛神像の拝観がかなわなくても、っ天平、平安の傑作がまじかに立ち並ぶ法華堂はいつ、訪れても飽きることのないお堂であった。

塑像はまさに粘土で作られたもの、大きな地震等が来ればひとたまりないだろう。現在建築の技術を凝縮して作成されたであろう「東大寺ミュージアムに」置かれることはやむなしと思わざるを得ない。

区分仏像名高さ技法時代
国宝不空羂索観音像362.0 cm乾漆造天平時代
国宝梵天像402.0 cm乾漆造天平時代
国宝帝釈天像403.0 cm乾漆造天平時代
国宝金剛力士像(吽形)306.0 cm乾漆造天平時代
国宝金剛力士像(阿形)326.4 cm乾漆造天平時代
国宝持国天像(四天王)309.0 cm乾漆造天平時代
国宝増長天像(四天王)300.0 cm乾漆造天平時代
国宝広目天像(四天王)304.0 cm乾漆造天平時代
国宝多聞天像(四天王)310.0cm乾漆造天平時代
国宝執金剛神像170.4 cm塑造天平時代
国宝(伝)日光菩薩像207.2 cm塑造天平時代
国宝(伝)月光菩薩像204.8 cm塑造天平時代
重文吉祥天像202.0 cm塑造天平時代
重文弁財天像219.0cm塑造天平時代
重文地蔵菩薩像84.3 cm塑造鎌倉室町
重文不動明王像86.5 cm塑造鎌倉室町

    上記の左右に紹介してあるのが「不空羂索観音像の脇侍として飾られていた日光・月光菩薩だ。以前にも触れたが、左が太陽のような温かい光で衆生を守日光菩薩像、模擬が知のの光で、見守ってくれる月光菩薩像。確かに両像のお顔はわずかに違いがある、と見えるが皆さんにはどう見えるのだろうか。
 
 
 
「このほか代表的な塑像仏は下段に1体だけ紹介したが、新薬師寺の12神将」
 
そして、4体のうち2体のみだが、東大寺戒壇院の四天王立像だろう。
塑像は粘土を駆使して作成しているだけにその表情は素晴らしく心の有り様が見事に表現されているように思えてならない。この新薬師寺の12神将の置かれた本堂も、戒壇院も見事なお堂ではあるが、震災等から完全に守られているとはとても思えない。これらの像も、いずれ近いうちに、現在の収蔵法とは異なった形を取らざるを得ないのではないだろうか。ふと、そんな思いが心をよぎった。
新薬師寺・バサラ
新装なった法華堂を訪ねるとともに、東大寺ミュージアム、戒壇院、そして新薬師寺を訪ねる旅がすぐにやってきそうだ・・・・・。