2013年3月30日土曜日

 <西の京 名刹> 薬師寺

薬師寺遠景
薬師寺東塔
薬師寺東院堂
ここまで、奈良地域の仏像にこだわってきたにもかかわらず、「薬師寺」「唐招提寺」をきちんと紹介していないぞ!そんな声が聞こえるほど読者は多くはないと思うが、この2寺に関して、私の拙文で書き加える言葉はほとんどない。
つまり、ほとんどの方々が1度や2度はこの両寺を訪ねているに違いないし、それぞれの方の思いがきっとあるに違いない。それを私の思いで否定も肯定もできはしない。みなさんと思いを重ねるだけだろう。

という言い訳の元。今回は写真グラフのようなものにしかならない。



 
薬師寺金堂日光・月光
東院堂・聖観音像
薬師寺遠景や唐招提寺の伽藍の風情を紹介した写真等をみつぬいつけ
 写真家「入江泰吉」が戦地から帰国した後、東大寺戒壇院近くに住まいを構え、あきることなく奈良の風景を写真に撮り続けたと聞いたが、さもあらんとしみじみと思うだけである。

薬師寺金堂の薬師三尊像は漆黒に輝いている。
まるで一部の隙もないようだ。
全く一部の隙を見せないこの三尊像は、煩悩の真っただ中にいる私には少しく荷が重いのかもしれない。
東塔の近くにある東院堂の聖観音像は、先回のイケ面でも紹介したが、
薬師三尊
薬師三尊以上の完成された造形だ。
すがすがしいほど美しく完成された三尊像と言えるだろう。



 <唐招提寺>

唐招提寺も数年前、5年以上かけて講堂の解体修理を行った。その時下段に紹介してある千手観音も1000本の手がすべて体から外されてくみなおされた。今は講堂に盧舎那仏を中心に薬師如来立像、千手観音像の3体の国宝仏が置かれ、四天王像や梵天・帝釈天などが置かれている。

唐招提寺薬師如来立像
唐招提寺講堂・盧舎那仏
ただ、一つ私にはどうしても納得行かない事がある。それは仏像の歴史や形ではなく拝観者への対応だ。
唐招提寺は拝観者は講堂の中に身を置くことは許されず、講堂の外から金網越しに3体の仏像や四天王、梵天などをながめる形になっている。
法隆寺、東寺、興福寺・・・。あまた国宝仏のある寺で、外からしか拝観できないお寺を私はあまり知らない。
大事さゆえの対応と思うが、あまりに拝観者への配慮が足りない気がして仕方がない。
なんとなく不愉快になってくる。奈良をあれほど訪ねながら西の京駅で下車しようと思わない私がいる。
三像だけでなく、梵天・帝釈天も。そして四天王も素晴らしい作品だと思う。だからこそ、仏像の傍に身を置き、気持ちを一体にした状況を感じさせてくれるべきだと思えて仕方がない。

あまり関係ないと思うが、このお寺側の考え方は鑑真和上の考え方と全く異なるのではないだろうか。
倭国で仏教を広めるために4回渡来に失敗し、ようやく5度目にこの国の土を踏んでいた時は失明していたという。
そこまでして、この国に仏教を根付かせようとした、鑑真の思いと、いまの唐招提寺の有り様はあまりにに違いがあるように思えてならない・・・。
唐招提寺・梵天像

唐招提寺・千手観音像
唐招提寺・四天王
鑑真和上坐像

 唐招提寺には、もう一つ内木戸銭をとるお堂がある。
確か100円だったと思うので、さほど問題にしたいわけではないが、いささか腑に落ちない。
ただし、このお堂の展示仏像は決して、100円の拝観料で不愉快にさせるものではなかった。講堂のさらに右奥にひっそりと置かれたお堂であったが、中に置かれている仏像はなかなかなものと思う。
残念なことに、一つとして完全な形をしたものはなかったと思うが、片手を失ったり、胴体だけの仏像が多く置かれているが、その姿は神護寺の薬師如来などをおもいだせたり、様々な仏像を思い起こさせる。

内木戸銭という仕組みに、ちょいとこだわったが、これらの保存のための100円と思えば、高くはないとも思える。

しつこいようだが、ただ、どうしても唐招提寺の講堂の拝観の仕組みはいただけない。関係者の一考を小ぞむ。

  西の京おわり・・・。





2013年3月27日水曜日

斑鳩 周遊

最古の三重塔 法輪寺

<穴場 斑鳩そぞろ歩き>

<法輪寺>

法隆寺、中宮寺で仏像拝観も”もう十分”と思う人が圧倒的に多いとは思うが、少し時間のあるかたに奨めたいのが斑鳩 そぞろ歩きだ。

法隆寺から2~3kmのところに日本最古の三重塔「法輪寺」がある。
この三重塔は聖徳太子の息子山背大兄王の創建と伝えられている。
山背大兄王は次に紹介する「法起寺」も創建したと言われているが、確実なことはわからない。

山背大兄王は皇位継承をめぐって、蘇我蝦夷に殺害されたと言われている。聖徳太子一族の血脈を断った恨みを封じ込めるために、建立されたのが法隆寺夢殿、そしてそのご本尊が、「救世観音」であり聖徳太子と等身等大の救世観音は、仏像としては大変珍しく光背が頭の後ろに木製の釘で打ちつけらている・・・。

こんなあらすじが、梅原猛著「隠された十字架」の内容だったと記憶している。30年ほど前に読んだ本なので、多少の勘違いはご容赦願いたい。

法輪寺の仏像は確か重要文化財3体、、流石に法隆寺や中宮寺の国宝仏を拝観した後だと、いささか物足りない感もするとも思うが、じっくりと拝観すると決して侮れない。
11面観音像

薬師如来坐像
一体は秘仏という雰囲気はしないが、頭上面のそろったまとまりのよい11面観音像だ。中々の秀作だと思う。
そして、ご本尊か、薬師如来坐像が置かれている。
この像を見たときに二つの仏様の姿が頭に浮かんだ。
一つは法隆寺本尊「釈迦如来坐像」だ。もう一つは夢殿の秘仏「救世観音像」だ。聖徳太子の息子の創建の寺に救世観音を思い出させる「薬師如来像」があることも何となく勝手な思いが駆け巡ってきて実に興味深い。
法隆寺釈迦三尊像に似ていることも、聖徳太子の影響が見事伝承されているようにも思える。
そして、3体目が虚空蔵菩薩像だ。虚空蔵菩薩は前半の神護寺の時に紹介したが、法隆寺の百済観音像も虚空蔵菩薩ではないかと聞いた記憶がある。
この虚空蔵菩薩の左手の水瓶やその持ち方に、百済観音像の姿がきっちりと重なる。
流石にこの像は八頭身ではなくいいところ六等身像くらいにしか見えない・・・・。

虚空蔵菩薩立蔵

<法起寺>

法輪寺からさらに徒歩で15分程度、ほど近いところにあるのが「法起寺」だ。先に触れたようにこのお寺も山背大兄王の創建と伝えられとぃる。
この法起寺の三重の塔が日本最古であったが、昭和に入ってから落雷で焼失。
昭和50年ころ、幸田文たちが中心となって、この三重の塔を再建したと聞い             ている。
昭和50年頃再建された法起寺三重塔

本尊は重文11面観音像。法隆寺から法輪寺、法起寺と思いを歴史の時代に置きながら、その時代に自分が存在していたら、どんな役割を果たしたのだろうか・・。その頃の風景を思い出しながら、そぞろ歩きをするには格好の地域だろう。まさに斑鳩そぞろ散歩だ。
法隆寺から法輪寺に向かう途中だったか、法輪寺から法起寺に向かう途中だったか、確か右手に見える小高い丘が、山背大兄王の墳墓だったと聞いた記憶がある。
無念の思いの中に、命を落としていった多くの人々の言霊が、あふれている場所・・・。それが斑鳩と言えるのかもしれない。

仏像めぐりは、ただあわただしく短時間に多数見て回るものではなく、その時代に思いを馳せながら、そして、時代の風を感じながら、訪ねるものなのかも知れない。
時は1000年以上の時間を経過している。
しかし、その風景には確かにその時代の名残がある。
太陽のきらめきや吹く風は、その時代と全く同じようなものかもしれない


法起寺前にはバス停もあったが、歩いて法隆寺駅まで戻った。
2時間を超えていたと思うが、なかなか味わえないそぞろ歩きコースだと確信する。
その時の私のように”ひとりそぞろ歩き”を進めたい。

何だか、この夏前にその場所を再び歩いている自分の姿が見えるような気がする。


法起寺11面観音像