2013年3月27日水曜日

斑鳩 周遊

最古の三重塔 法輪寺

<穴場 斑鳩そぞろ歩き>

<法輪寺>

法隆寺、中宮寺で仏像拝観も”もう十分”と思う人が圧倒的に多いとは思うが、少し時間のあるかたに奨めたいのが斑鳩 そぞろ歩きだ。

法隆寺から2~3kmのところに日本最古の三重塔「法輪寺」がある。
この三重塔は聖徳太子の息子山背大兄王の創建と伝えられている。
山背大兄王は次に紹介する「法起寺」も創建したと言われているが、確実なことはわからない。

山背大兄王は皇位継承をめぐって、蘇我蝦夷に殺害されたと言われている。聖徳太子一族の血脈を断った恨みを封じ込めるために、建立されたのが法隆寺夢殿、そしてそのご本尊が、「救世観音」であり聖徳太子と等身等大の救世観音は、仏像としては大変珍しく光背が頭の後ろに木製の釘で打ちつけらている・・・。

こんなあらすじが、梅原猛著「隠された十字架」の内容だったと記憶している。30年ほど前に読んだ本なので、多少の勘違いはご容赦願いたい。

法輪寺の仏像は確か重要文化財3体、、流石に法隆寺や中宮寺の国宝仏を拝観した後だと、いささか物足りない感もするとも思うが、じっくりと拝観すると決して侮れない。
11面観音像

薬師如来坐像
一体は秘仏という雰囲気はしないが、頭上面のそろったまとまりのよい11面観音像だ。中々の秀作だと思う。
そして、ご本尊か、薬師如来坐像が置かれている。
この像を見たときに二つの仏様の姿が頭に浮かんだ。
一つは法隆寺本尊「釈迦如来坐像」だ。もう一つは夢殿の秘仏「救世観音像」だ。聖徳太子の息子の創建の寺に救世観音を思い出させる「薬師如来像」があることも何となく勝手な思いが駆け巡ってきて実に興味深い。
法隆寺釈迦三尊像に似ていることも、聖徳太子の影響が見事伝承されているようにも思える。
そして、3体目が虚空蔵菩薩像だ。虚空蔵菩薩は前半の神護寺の時に紹介したが、法隆寺の百済観音像も虚空蔵菩薩ではないかと聞いた記憶がある。
この虚空蔵菩薩の左手の水瓶やその持ち方に、百済観音像の姿がきっちりと重なる。
流石にこの像は八頭身ではなくいいところ六等身像くらいにしか見えない・・・・。

虚空蔵菩薩立蔵

<法起寺>

法輪寺からさらに徒歩で15分程度、ほど近いところにあるのが「法起寺」だ。先に触れたようにこのお寺も山背大兄王の創建と伝えられとぃる。
この法起寺の三重の塔が日本最古であったが、昭和に入ってから落雷で焼失。
昭和50年ころ、幸田文たちが中心となって、この三重の塔を再建したと聞い             ている。
昭和50年頃再建された法起寺三重塔

本尊は重文11面観音像。法隆寺から法輪寺、法起寺と思いを歴史の時代に置きながら、その時代に自分が存在していたら、どんな役割を果たしたのだろうか・・。その頃の風景を思い出しながら、そぞろ歩きをするには格好の地域だろう。まさに斑鳩そぞろ散歩だ。
法隆寺から法輪寺に向かう途中だったか、法輪寺から法起寺に向かう途中だったか、確か右手に見える小高い丘が、山背大兄王の墳墓だったと聞いた記憶がある。
無念の思いの中に、命を落としていった多くの人々の言霊が、あふれている場所・・・。それが斑鳩と言えるのかもしれない。

仏像めぐりは、ただあわただしく短時間に多数見て回るものではなく、その時代に思いを馳せながら、そして、時代の風を感じながら、訪ねるものなのかも知れない。
時は1000年以上の時間を経過している。
しかし、その風景には確かにその時代の名残がある。
太陽のきらめきや吹く風は、その時代と全く同じようなものかもしれない


法起寺前にはバス停もあったが、歩いて法隆寺駅まで戻った。
2時間を超えていたと思うが、なかなか味わえないそぞろ歩きコースだと確信する。
その時の私のように”ひとりそぞろ歩き”を進めたい。

何だか、この夏前にその場所を再び歩いている自分の姿が見えるような気がする。


法起寺11面観音像

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