2013年10月27日日曜日

大阪出張のついでに、奈良まで足を延ばして駆け足で回ってきた。
1.大和西大寺からバス10分 法華寺
  ちょうど25日から、ご本尊11面観音像のご開帳。
 
  久しぶりに(2回目)白檀の一木の11面様ではない、白木(少しくすんだ雰囲気がいい)のご本尊をしみじみと拝観
  させていただいた。身の丈約1メートル。国宝11面(7体)の中では最も小さいが、完成度としたら、どの11面にも負 
  けない完成度。やっぱり素晴らしい。
2.時間がないので海龍王寺や不退寺はパスして、バスで近鉄奈良駅へ。
  そこから改築なった東大寺法華堂へ
  見事に不空羂索観音像が中央からみおろし、その異形はすさまじい迫力であった。
  日光・月光などの数体の塑像(粘土で壊れやすい)は、やはり保存に万全を期すために、東大寺ミュージアムに置 
  かれたまま。
  結果、金剛力士2体、4天王像、梵天・帝釈天の9体のみになってしまったが、法華堂の静寂につつまれ、独特の
  精神世界を感じさせる様に大きな変わりはなかった。本当に心がしずまり、己の小ささを心の底から感じさせる。
3 そこらか2月堂を経由して、久しぶりに興福寺国宝館を訪ねた。
  ここも国宝仏の宝庫。
  中央に約4メートルの大きさで置かれた千手観音を中心に、金剛力士2体、天燈鬼・竜燈鬼、10大弟子
  そしてあまりに有名な阿修羅像を含む八部衆。
  国宝仏のオンパレード。
  一,二年前に訪れた時と仏像の展示方法が異なっていたが、今回の展示方法はなかなかよくできている。
  秋の奈良は紅葉時期は11月の半ば過ぎだろう。この3か所、特に私のお勧めだ、時間があれば
  新薬師寺、秋篠寺など何度訪ねても飽きることはないと思う。

  法華寺の11万観音ご本尊のご開帳時期を調べて、是非ちょっと奈良の旅に出てはいかが・・・・。
  

2013年9月21日土曜日

若狭への旅 小浜 羽賀寺


奈良にとどまり、少しくこだわりすぎた(というかしばしネタ切れ状態)。
ここでちょっと旅に出てみよう。
行先は若狭小浜市…。若狭湾に面した漁港。しかし、小浜はなんとなく
心に染み入ってくる風情がある。(記憶では日本のフィッシャーマンズワーフと言われていたと思う)まさに猟師町の匂いにあふれている。
また、名高い鯖街道の出発地。この若狭で水揚げされた『鯖』を京
に届けるための道が鯖街道・・・。
この羽賀寺に、11面観音立像(重文)がある。下段に紹介してある像がまさにそのもの。記憶でしかないが、私の身長(171㎝)を多少上回るくらいの大きさであったと思う。11面観音像としての全体の印象は、国宝仏にも勝るとも劣らない仏様という印象だ。頭上面にも観音像そのものにも朱色が見事に残っており、向源寺の11面と比するといささかあでやかな印象ではあるが、すっきりとした立ち姿と1人でも多くの衆生をすくうために延ばされた右手は膝に届くほど長い。若狭の里山に残された小さな伽藍の中に、全く違う繁栄の名残をとどめた仏の世界が残されていた。
 

 但し、この羽賀寺アクセスが問題。小浜の駅からは電車もバス便もなかった。
駅近くで、レンタサイクルを借りるか、奮発してタクシーで行くかくらいしか方法がなかったと思う。もちろんマイカーやレンタカーを借りればなんということはないのはもちろんのことだが。

せっかくの若狭、少なくとも一日くらいはゆっくりと時間をかけて訪れることをお勧めしたい。
真冬や真夏でなければ、フィッシャーマンズワーフと言われる漁師町で自転車でも借りて、羽賀寺を訪れ、その後、港にあった一階に生簀があり、そこで魚を頼んで、2階で料理してくれる店もある。

また、小浜の灯台が印象的だ。
灯台の下まで、細い堤防を歩き灯台に背を預けて、入り組んだ港の風景を眺め、風を感じる時間はなかなかな得難い風情ではないだろか。
港では湾をめぐる遊覧船もあった。船に乗り、若狭の海を身体いっぱい感じることができる。
もちろん、鯖街道の起点、鯖をとことん味わうことは、いうまでもないだろう。
鯖寿司も絶品・・。伝える言葉が見当たらない。

下段に紹介してあるのは11面千手観音像。この仏様も羽賀寺の本堂に飾られている。


休み休み書いた知っtakaの仏像話だが、この辺でしばらくのお休みをいただこうと思う。

最近、知っtaka君、チョイ料理に関心も持ち始めた。
当たり前の親父の料理だが、知っtakaの料理話というコーナーで再登場したいと思っている。
来月初めからくらいのスタートか。乞わずご期待。お笑いください。


2013年8月17日土曜日

三重塔

宇治「三室戸寺」(別名アジサイ寺)

京阪電車で宇治駅(平等院)のほんの手前に三室戸寺駅がある。
6月のアジサイのころには、宇治駅からアジサイバスが運行されるようだが、バス運行の無い時、確かバスを乗り継いで訪れた記憶がある(徒歩でも15分くらいという案内があった)。残念ながら、三室戸寺には国宝仏はなかった。
                                     
 国宝仏はないが、十分び訪問の価値ある場所であることにに変わりはない。                                                                     
 この三室戸寺本堂には、全く公開されない「秘仏千手観音」があると紹介されていた。

年齢のせいかよく記憶にないが、この千手観音像、去年か一昨年特別開帳がされたように記憶している。そして、その秘仏も拝観したくてこの三室戸寺を訪ねた。しかし、この秘仏の余りの小ささ(小さくてあまりよくみえない)と、お寺の大仰な対応にいささか閉口した。(しかも、この秘仏、内木戸銭までとっていたような気がする、まるで、長野県のZ寺の秘仏開帳と同じくらい、参拝者を落胆させた・・・。)
この記憶は残念ながら確信はない。もし、これが私の全く別寺との記憶違いであれば、三室戸寺に関係するすべての人々に、心から謝らなくてはならない。
                                      
                                      
                                        


とはいいつつも、この三室戸寺、阿弥陀堂の中に置かれていた阿弥陀三尊像(重要文化財)はなかなかに素晴らしいものであった。阿弥陀如来像に加えて、両脇侍聖観音像、勢至菩薩像の三像がまさに西方浄土から、衆生を迎えるように、優しく私たちを包んでくれているような感覚になることができる。
重文・阿弥陀三尊像




三尊像全体の風情は、京都三千院の国宝阿弥陀三尊像と極めて、雰囲気が似たところがある。
特に両脇侍の雰囲気が大変よく似ている。

阿弥陀如来像本体は、『平等院』『法界寺』の阿弥陀像を
少しく小さくした感じではあるが、法界寺阿弥陀像と同様に定朝作と言われているようだ。真偽のほどは明らかにされてはいないようだが・・。

三室戸寺にはこのほか、
重要文化財として、木造釈迦如来立像(清凉寺式釈迦如来像=法衣(袈裟を両肩からかけている様式)、木造毘沙門天立像が置かれている。
毘沙門天は四天王の一体としては多聞天で、一体で置かれたときに毘沙門天と呼ばれる。戦いの守護神だ。
群雄割拠の時代、戦いの天才と謳われた上杉謙信の部隊の旗は『毘』の一文字で「風林火山」の武田勢と死闘を繰り返している。

三室戸寺への、私の記憶を別にすれば、重要文化財阿弥陀三尊をはじめいくつかの仏像の作品としてのインパクトは決して小さくない。
個人的には、もう一度、時間をかけて訪ねたい場所だ。
ただ、6月のアジサイのころは、やめよう。アジサイでにぎわう寺と、仏像拝観を同じ空間で味わうことは難しいだろう。

鳳凰堂、法界寺そしてこの三室戸寺の阿弥陀像、定朝作の真贋のほどは私にはわかり様もないが、疑いもなく証明されている平等院の阿弥陀如来像を心に刻みながら、残りの2寺を訪ねてみるのもまた、面白きかな・・・ではないだろうか。


2013年8月15日木曜日

東大寺法華堂 拝観再開!http://www.yomiuri.co.jp/stream/m_news/vn130516_3.htm

約3年をかけて修復、増強をしてきた東大寺3月堂が、今年5月18日(土)から拝観を再開した。
法華堂須弥壇及び諸尊像修理事業のため、約3年ほど拝観を停止していたが、今年5月に再開、この修理の間に様々な新しい知見が判明、いろいろな研究が進んでいくだろう。

再開された三月堂に安置されるのは、
 本尊不空羂索観音菩薩、梵天、帝釈天、金剛力士(阿吽)、四天王、執金剛紳(秘仏)の10躰

 脇侍として不空検索観音を守護していた 日光・月光菩薩両菩薩をはじめ、弁財天、吉祥天、地蔵菩薩、不動明王の 
本尊 不空羂索観音
6躰はこれからも東大寺ミュージアムに置かれたままとなる。
 (執金剛神の開扉(12/16)は、平成25年度から従来通り)

 
今回の分離陳列には明確な理由が読み取れる。
三月堂に残された諸像は乾漆造りであり、東大寺ミュージアムに分離して置かれる像は、『塑像』となっている。


(国宝 不空羂索観音像 362.0 cm 乾漆造 天平時代)
三月堂に置かれる塑像は執金剛神像1体、この像は
まさに秘仏、毎年  12月の1日しか公開されない。
しかも、三月堂の中のひときわ、しっかりした厨司の中に安置されている。
残念ながら、10回以上3月堂を訪れた私も拝観したことはない。

ただ、この執金剛神像の拝観がかなわなくても、っ天平、平安の傑作がまじかに立ち並ぶ法華堂はいつ、訪れても飽きることのないお堂であった。

塑像はまさに粘土で作られたもの、大きな地震等が来ればひとたまりないだろう。現在建築の技術を凝縮して作成されたであろう「東大寺ミュージアムに」置かれることはやむなしと思わざるを得ない。

区分仏像名高さ技法時代
国宝不空羂索観音像362.0 cm乾漆造天平時代
国宝梵天像402.0 cm乾漆造天平時代
国宝帝釈天像403.0 cm乾漆造天平時代
国宝金剛力士像(吽形)306.0 cm乾漆造天平時代
国宝金剛力士像(阿形)326.4 cm乾漆造天平時代
国宝持国天像(四天王)309.0 cm乾漆造天平時代
国宝増長天像(四天王)300.0 cm乾漆造天平時代
国宝広目天像(四天王)304.0 cm乾漆造天平時代
国宝多聞天像(四天王)310.0cm乾漆造天平時代
国宝執金剛神像170.4 cm塑造天平時代
国宝(伝)日光菩薩像207.2 cm塑造天平時代
国宝(伝)月光菩薩像204.8 cm塑造天平時代
重文吉祥天像202.0 cm塑造天平時代
重文弁財天像219.0cm塑造天平時代
重文地蔵菩薩像84.3 cm塑造鎌倉室町
重文不動明王像86.5 cm塑造鎌倉室町

    上記の左右に紹介してあるのが「不空羂索観音像の脇侍として飾られていた日光・月光菩薩だ。以前にも触れたが、左が太陽のような温かい光で衆生を守日光菩薩像、模擬が知のの光で、見守ってくれる月光菩薩像。確かに両像のお顔はわずかに違いがある、と見えるが皆さんにはどう見えるのだろうか。
 
 
 
「このほか代表的な塑像仏は下段に1体だけ紹介したが、新薬師寺の12神将」
 
そして、4体のうち2体のみだが、東大寺戒壇院の四天王立像だろう。
塑像は粘土を駆使して作成しているだけにその表情は素晴らしく心の有り様が見事に表現されているように思えてならない。この新薬師寺の12神将の置かれた本堂も、戒壇院も見事なお堂ではあるが、震災等から完全に守られているとはとても思えない。これらの像も、いずれ近いうちに、現在の収蔵法とは異なった形を取らざるを得ないのではないだろうか。ふと、そんな思いが心をよぎった。
新薬師寺・バサラ
新装なった法華堂を訪ねるとともに、東大寺ミュージアム、戒壇院、そして新薬師寺を訪ねる旅がすぐにやってきそうだ・・・・・。

2013年5月25日土曜日

国宝・観心寺如意輪観音

<妖艶な仏=如意輪観音像>

数ある仏像の中でも、最も妖艶な感じを与える菩薩像が如意輪観音像ではないだろうか。この印象は、完成度が高く唯一国宝に指定されている大阪「河内長野」の観心寺の如意輪観音から感じた印象が非常に大きな影響をを与えていることは事実だろう。いささかふくよかで、片膝を立てて、一手を右頬に据え宝珠を身体の中心にもち、像全体に朱色が、残っており、まさに色香を帯びた表情で蓮台の上に静かに座っている。


 
重文・醍醐寺如意輪観音
重文・室生寺如意輪観音



如意輪観音は立像は多分ないだろう。一般的な如意輪観音は6本の手を持ち、その二つの手に如意宝珠と法輪を持っている。如意宝珠は迷える衆生に功徳を施し、法輪は煩悩の打破のためにある。




室生寺、醍醐寺の如意輪観音像は重文指定になっている。その造形は観心寺の如意輪像に極めて近い。但し、観心寺の如意輪像の美しさ、妖艶さが圧倒的で、室生寺、醍醐寺の如意輪観音菩薩のインパクトはあまり強いとは言えないだろう。この観心寺の如意輪観音像は毎年4月の16日、17日の2日間しか拝観することができない。南海電鉄の河内長野・・。まさに一日近くを費やして訪れる菩薩像だ。その労苦を割り引いても一度はおめにかかった方がと思わせる仏様であることは間違いがない。室生寺や醍醐寺には他にも見るべきものがあまりに多い。ともに、如意輪観音菩薩にお目にかかるために訪れる寺ではないのかもしれない。ただ、観心寺にはこの仏様一体しかお目にかかるべきものはない。その思いがこの如意輪観音様を拝観した時に、かえって強い印象でこころに押し寄せてくるのかもしれない。

付記だが、中宮寺の弥勒菩薩半跏像、宝菩提院の国宝菩薩半跏像も如意輪観音の変化仏と言われていると記憶している。中宮寺の弥勒像までは、女性的なそして妖艶な印象を強く与える菩薩だが、宝菩提院の半跏像は、むしろ凛々しく見える。
なぜ、如意輪像と伝えられるのか、女性的な存在と、凛々しい若者のような印象を与える仏像と同じ、仲間として紹介されるのか・・・・もう少しく、知識の蓄積が必要なのかもしれない。
そして、何より、現地に赴くことが必要だろう。そういえば、ここの所、半年近く、仏様にお目にかかりに行っていない。
この秋には、奈良、そぞろ歩きの旅に出よう・・・・か。

2013年4月20日土曜日

法華寺本堂

<法華寺11面観音像と

         佐保路の三観音めぐり>

国宝11面観音像のところで少しく紹介したが、やはり1話の主人公になる仏様が、法華寺11面観音像だろう。
白木の一木で、ほとんど彩色等はされていないと思うが、実に印象的で美しい観音様だ。
この法華寺は藤原不比等の娘で、後の光明皇后の創建。
聖武天皇の皇后様・・。加えて法華寺は総国分尼寺としての役も担っている。

国宝11面観音像


この観音様のモデルは光明皇后さまそのものといわれ、まさに女性的な印象を与える。白木の一木で、かすかに口に紅のようなものをさしている。
像はちょうど1メートルくらいであったが数十本の装飾物を、光背のように身にまとい、右足の親指をそっとあげて、今にもこちらに歩んで来られるように思える。

このご本尊は1年の間、厨司の中に秘仏として置かれたままで、春・秋で年間30日から40日程度公開されていた。

この秘仏の置かれている厨司のすぐ横に、もう一つの厨司が置かれていて、ご本尊と全く同じように作られた鎌倉時代の白檀の一木の御分身像がある。この御分身像は拝観日数が長く、比較的容易に拝観がかなうだろうが、できることならご本尊の拝観を強く薦めたい。
女性的という意味では、タイプは異なるが、渡岸寺観音堂の11面観音像と同じような美しさで見る人の心に迫ってくる仏様であることは間違いがない。



11面観音御分身


この法華寺のすぐ近くにある海龍王寺と、少し離れてはいるが徒歩圏内に不退寺がある。この3寺は共同で10月から11月の期間だったと思うが、『佐保路三観音めぐり』という企画を実施している。
法華寺前というバス停から一番近い場所にあるのが「海龍王寺」。
ただ、気持ちとしては国宝11面観音像にお目にかかるということで法華寺から拝観をするのがスジと思うが、ルールはない。

海龍王寺は、法華寺ともども、元は藤原不比等の邸宅であった場所に建てられている。
仏像としての国宝は置かれていないが、佐保寺三観音めぐりの一つとして紹介されているのが、重文11面観音像だ。鎌倉時代の制作とあるが、体を飾っている金泥が、体中を覆っており、制作時のお姿を、色濃く残している。

五重小塔
独自の光背と金泥のお姿から、11面観音様を想像させない、別個の仏様のような印象を与える。

この海龍王寺には触れておかねばならないものがいくつかある。
その一つが、国宝五重の小塔だ。
屋内に置かれた、唯一の国宝五重小塔と紹介されていた。
高さは約4メートル。大きな五重の塔とその作りはほとんど変わらない。

また、海龍王寺には重文文殊菩薩像、愛染明王、不動明王なども置かれていた。
私自身は文殊菩薩のお姿が結構印象深く残っている。
特に目に鋭さと凛々しさを感じた。
今、目の前ではなく、少し遠くを見据えようとする知恵の菩薩、文殊菩薩の姿に心ひかれた。

海龍王寺本堂




重文11面観音像

文殊菩薩像






海龍王寺からは、徒歩ではしばらくかかったが、佐保寺三観音めぐりの最後に訪れるところが不退寺だ。
あまりよく記憶はないが、在原業平が開基したとのことで「業平寺」と呼ばれている。
ここに佐保路三観音の最期を飾る重文聖観音立像がおられる。
建立時の姿を想像することは簡単ではないが、聖観音像としての存在感は十分に感じることができる。
法華寺へは、近鉄大和西大寺駅からバスですぐ、法華寺前でバスを降りてすぐのところにある。
佐保路は貴族たちが豪邸をつらねた天平時代の高級住宅街。恋歌を数多く詠んだ坂上郎女
        (さかのうえのいらつめ)、多くの女性の憧れの存在大伴家持など万葉集に鮮やかな感性を
記した歌人たちも行き来した道。斑鳩や山の辺の道などとともに、天平の時代に思いを馳せながら、のんびりと歩く
には絶好のポイント。春の特別ご開帳も紹介されていると思う。春かこの秋、もう一度訪ねてみたい場所だ。
是非、ともに佐保路の自分を見つけましょう!!。



2013年4月13日土曜日

不空羂索観音坐像

興福寺 南円堂・北円堂特別公開

興福寺の仏像は、国宝館と東金堂に主な仏像が置かれている。人気の阿修羅像を含む八部衆や金剛力士、薬師如来、12神将などこの両方でほとんどの仏様を拝観できる。
この東金堂、五重塔の向い側、南側に南円堂、北側に北円堂がある。
八角形のお堂としては大変美しい。
この両堂は、常時拝観がかなう訳ではなく、毎年比較的短い拝観の期間だったと思うが、今年は特別拝観として4月12日~6月2日まで公開しているとのこと。
以前にもお目にかかってとことはあるが、もう一度訪ねてみたい仏様がいくつかおられる。
南円堂の本尊は不空羂索観音坐像(国宝)。まばゆいばかりの金色にか輝いている、結構大きな観音像だったと記憶している。
不空羂索観音像は、何と言っても東大寺法華堂におられたものは立像であり、圧倒的なインパクトがあったが、この不空羂索観音もいろいろな角度から眺めると大変完成度の高い仏様と言えるだろう。
後に触れるが、北円堂の有名な「無着・世親像」は運慶作だ。
こちらの不空検索観音はやはり運慶の父、康慶の作と紹介されていたとおもう。



 

北円堂は無着・世親像があまりも有名だ。運慶作の代表的作品なのだろう。運慶の作品としては、私は円成寺の大日如来座像が最も好きだ。さらに忘れられないのが、南大門金剛力士像だろう。


南円堂にはこの不空羂索観音像を守護するように置かれている
四天王像も素晴らしい作品だ。

法隆寺の日本最古の四天王像、戒壇院の塑像四天王像がやはり印象深いが、
この、南円堂の四天王像もそのインパクトとしては忘れられない作品の一つだろうと思う。







北円堂にはこの両像の他に、本尊「弥勒如来座像」が置かれている。この如来像は、やはり一見の価値、大いにありだろう。あまり大振りではなかったと思うが、慈愛に満ちた、優しいお顔で私たちを待ってくれている。
もう一つ四天王像が置かれている。この四天王像は南円堂のそれと比すとあまりに印象が異なる。
その意味では、四天王像は結構多数とお目にかかってきたが、一つとして同じ印象のものがない。
まっすぐに立ち、素朴でその存在をあまり強調はしないが、見れば見るほど完成度の高い法隆寺四天王。
圧倒的なインパクトでありながら、静謐を感じさせる東大寺戒壇院四天王像。
法華堂の四隅に置かれていた、大きく威圧的であった四天王像。そしてこの南円堂、北円堂の四天王。時代にはいささかの違いがあるのだろうが、その印象はあまりにも異なる・・・。

近鉄奈良駅を降りて、向かえばすぐ奈良公園、多くの鹿に囲まれながら、壮麗な五重塔と東金堂、国宝館。
そして、南円堂、北円堂。さらに、その先には奈良博。常設展示の作品にも印象深いものが多い。
仏像拝観に疲れたら、さるさわの池から奈良町へ・・。奈良町には旧民家を活用した、食事処やお土産屋も多く。
のんびり散策するには最高のポイントだろう。
仏像と奈良町・・。十分に一日を価値ある日にしてくれるところだろう。
特別拝観に合わせて、「今ふたたびの奈良へ」か・・・。
(JR東海とタイアップは一切していません)

無着・世親像
弥勒如来座蔵
北円堂四天王像




2013年4月3日水曜日

<平等院鳳凰堂>


「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたる
  こともなしと思えば」
 藤原氏全盛時代、栄耀栄華を誇った藤原頼道
 の父、藤原道長が謳った有名な和歌であるこ
 とは説明をまたないと思う。

 浄土式庭園の池の正面に堂々と立つのが鳳凰
 堂だ。

 鳳凰堂の向かい側、池のそばから鳳凰堂を眺
めると、その正面に卵形(真円?)の大きな円が、空いており、中心に見えるのが国宝阿弥陀如来像だ。この像は、慶派のルーツ定朝作であることが実証されている唯一の像だ。前に紹介した法界寺の阿弥陀像と極めて似ているが、法界寺の阿弥陀像は定朝様と言われている。
 


ただ、個人的感想を言えば保存状態はいささか異なるが、同じ作者に思えてならない。
これもズブの素人の見解。全く根拠はない。

平等院はこの鳳凰堂と浄土式庭園そして国宝阿弥陀如来像が有名、加えてこの阿弥陀像の頭上にある『天蓋』も大変、豪華なものとしてみるものを圧倒する。
金色にかがやく天蓋やこのお堂のきらめきは、まさに藤原氏の栄華をそのまま表しているといえるだろう。


加えて、この鳳凰堂で私が圧倒的インパクトを与えられたのは、52体の
『雲中供養菩薩郡』だ。
阿弥陀如来の座している本堂に約半分が壁に取りつくように飾られている。

残りの20数体は宝物館に所蔵されている。
本堂のなかで眺めると頭上に見える雲中供養菩薩は20㎝~30㎝くらいのおおきさを
想像する。しかし、宝物館で実際まじかに見ると驚くほどの大きさだ。
たぶん、ほとんどの菩薩像は同じような大きさなのではないかと思うが、実物は60㎝~70㎝はあるだろう。
この雲中菩薩像はNo.○という形で表現されていたと思うが、当然一体として同じ姿をしたものはない。


あるものは天使のように純粋に、あるものは菩薩としての厳しさを、そしてあるものは妖艶な感じさえさせるものがある。雲中というだけに、すべての菩薩が小さな一人用の雲の乗り物に乗って、様々な姿で私たちを迎えてくれる。
鳳凰堂にはこの雲中供養菩薩だけを拝観に行っても後悔はしないと思う。

2013年3月30日土曜日

 <西の京 名刹> 薬師寺

薬師寺遠景
薬師寺東塔
薬師寺東院堂
ここまで、奈良地域の仏像にこだわってきたにもかかわらず、「薬師寺」「唐招提寺」をきちんと紹介していないぞ!そんな声が聞こえるほど読者は多くはないと思うが、この2寺に関して、私の拙文で書き加える言葉はほとんどない。
つまり、ほとんどの方々が1度や2度はこの両寺を訪ねているに違いないし、それぞれの方の思いがきっとあるに違いない。それを私の思いで否定も肯定もできはしない。みなさんと思いを重ねるだけだろう。

という言い訳の元。今回は写真グラフのようなものにしかならない。



 
薬師寺金堂日光・月光
東院堂・聖観音像
薬師寺遠景や唐招提寺の伽藍の風情を紹介した写真等をみつぬいつけ
 写真家「入江泰吉」が戦地から帰国した後、東大寺戒壇院近くに住まいを構え、あきることなく奈良の風景を写真に撮り続けたと聞いたが、さもあらんとしみじみと思うだけである。

薬師寺金堂の薬師三尊像は漆黒に輝いている。
まるで一部の隙もないようだ。
全く一部の隙を見せないこの三尊像は、煩悩の真っただ中にいる私には少しく荷が重いのかもしれない。
東塔の近くにある東院堂の聖観音像は、先回のイケ面でも紹介したが、
薬師三尊
薬師三尊以上の完成された造形だ。
すがすがしいほど美しく完成された三尊像と言えるだろう。



 <唐招提寺>

唐招提寺も数年前、5年以上かけて講堂の解体修理を行った。その時下段に紹介してある千手観音も1000本の手がすべて体から外されてくみなおされた。今は講堂に盧舎那仏を中心に薬師如来立像、千手観音像の3体の国宝仏が置かれ、四天王像や梵天・帝釈天などが置かれている。

唐招提寺薬師如来立像
唐招提寺講堂・盧舎那仏
ただ、一つ私にはどうしても納得行かない事がある。それは仏像の歴史や形ではなく拝観者への対応だ。
唐招提寺は拝観者は講堂の中に身を置くことは許されず、講堂の外から金網越しに3体の仏像や四天王、梵天などをながめる形になっている。
法隆寺、東寺、興福寺・・・。あまた国宝仏のある寺で、外からしか拝観できないお寺を私はあまり知らない。
大事さゆえの対応と思うが、あまりに拝観者への配慮が足りない気がして仕方がない。
なんとなく不愉快になってくる。奈良をあれほど訪ねながら西の京駅で下車しようと思わない私がいる。
三像だけでなく、梵天・帝釈天も。そして四天王も素晴らしい作品だと思う。だからこそ、仏像の傍に身を置き、気持ちを一体にした状況を感じさせてくれるべきだと思えて仕方がない。

あまり関係ないと思うが、このお寺側の考え方は鑑真和上の考え方と全く異なるのではないだろうか。
倭国で仏教を広めるために4回渡来に失敗し、ようやく5度目にこの国の土を踏んでいた時は失明していたという。
そこまでして、この国に仏教を根付かせようとした、鑑真の思いと、いまの唐招提寺の有り様はあまりにに違いがあるように思えてならない・・・。
唐招提寺・梵天像

唐招提寺・千手観音像
唐招提寺・四天王
鑑真和上坐像

 唐招提寺には、もう一つ内木戸銭をとるお堂がある。
確か100円だったと思うので、さほど問題にしたいわけではないが、いささか腑に落ちない。
ただし、このお堂の展示仏像は決して、100円の拝観料で不愉快にさせるものではなかった。講堂のさらに右奥にひっそりと置かれたお堂であったが、中に置かれている仏像はなかなかなものと思う。
残念なことに、一つとして完全な形をしたものはなかったと思うが、片手を失ったり、胴体だけの仏像が多く置かれているが、その姿は神護寺の薬師如来などをおもいだせたり、様々な仏像を思い起こさせる。

内木戸銭という仕組みに、ちょいとこだわったが、これらの保存のための100円と思えば、高くはないとも思える。

しつこいようだが、ただ、どうしても唐招提寺の講堂の拝観の仕組みはいただけない。関係者の一考を小ぞむ。

  西の京おわり・・・。