2013年4月3日水曜日

<平等院鳳凰堂>


「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたる
  こともなしと思えば」
 藤原氏全盛時代、栄耀栄華を誇った藤原頼道
 の父、藤原道長が謳った有名な和歌であるこ
 とは説明をまたないと思う。

 浄土式庭園の池の正面に堂々と立つのが鳳凰
 堂だ。

 鳳凰堂の向かい側、池のそばから鳳凰堂を眺
めると、その正面に卵形(真円?)の大きな円が、空いており、中心に見えるのが国宝阿弥陀如来像だ。この像は、慶派のルーツ定朝作であることが実証されている唯一の像だ。前に紹介した法界寺の阿弥陀像と極めて似ているが、法界寺の阿弥陀像は定朝様と言われている。
 


ただ、個人的感想を言えば保存状態はいささか異なるが、同じ作者に思えてならない。
これもズブの素人の見解。全く根拠はない。

平等院はこの鳳凰堂と浄土式庭園そして国宝阿弥陀如来像が有名、加えてこの阿弥陀像の頭上にある『天蓋』も大変、豪華なものとしてみるものを圧倒する。
金色にかがやく天蓋やこのお堂のきらめきは、まさに藤原氏の栄華をそのまま表しているといえるだろう。


加えて、この鳳凰堂で私が圧倒的インパクトを与えられたのは、52体の
『雲中供養菩薩郡』だ。
阿弥陀如来の座している本堂に約半分が壁に取りつくように飾られている。

残りの20数体は宝物館に所蔵されている。
本堂のなかで眺めると頭上に見える雲中供養菩薩は20㎝~30㎝くらいのおおきさを
想像する。しかし、宝物館で実際まじかに見ると驚くほどの大きさだ。
たぶん、ほとんどの菩薩像は同じような大きさなのではないかと思うが、実物は60㎝~70㎝はあるだろう。
この雲中菩薩像はNo.○という形で表現されていたと思うが、当然一体として同じ姿をしたものはない。


あるものは天使のように純粋に、あるものは菩薩としての厳しさを、そしてあるものは妖艶な感じさえさせるものがある。雲中というだけに、すべての菩薩が小さな一人用の雲の乗り物に乗って、様々な姿で私たちを迎えてくれる。
鳳凰堂にはこの雲中供養菩薩だけを拝観に行っても後悔はしないと思う。

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