2013年10月27日日曜日

大阪出張のついでに、奈良まで足を延ばして駆け足で回ってきた。
1.大和西大寺からバス10分 法華寺
  ちょうど25日から、ご本尊11面観音像のご開帳。
 
  久しぶりに(2回目)白檀の一木の11面様ではない、白木(少しくすんだ雰囲気がいい)のご本尊をしみじみと拝観
  させていただいた。身の丈約1メートル。国宝11面(7体)の中では最も小さいが、完成度としたら、どの11面にも負 
  けない完成度。やっぱり素晴らしい。
2.時間がないので海龍王寺や不退寺はパスして、バスで近鉄奈良駅へ。
  そこから改築なった東大寺法華堂へ
  見事に不空羂索観音像が中央からみおろし、その異形はすさまじい迫力であった。
  日光・月光などの数体の塑像(粘土で壊れやすい)は、やはり保存に万全を期すために、東大寺ミュージアムに置 
  かれたまま。
  結果、金剛力士2体、4天王像、梵天・帝釈天の9体のみになってしまったが、法華堂の静寂につつまれ、独特の
  精神世界を感じさせる様に大きな変わりはなかった。本当に心がしずまり、己の小ささを心の底から感じさせる。
3 そこらか2月堂を経由して、久しぶりに興福寺国宝館を訪ねた。
  ここも国宝仏の宝庫。
  中央に約4メートルの大きさで置かれた千手観音を中心に、金剛力士2体、天燈鬼・竜燈鬼、10大弟子
  そしてあまりに有名な阿修羅像を含む八部衆。
  国宝仏のオンパレード。
  一,二年前に訪れた時と仏像の展示方法が異なっていたが、今回の展示方法はなかなかよくできている。
  秋の奈良は紅葉時期は11月の半ば過ぎだろう。この3か所、特に私のお勧めだ、時間があれば
  新薬師寺、秋篠寺など何度訪ねても飽きることはないと思う。

  法華寺の11万観音ご本尊のご開帳時期を調べて、是非ちょっと奈良の旅に出てはいかが・・・・。
  

2013年9月21日土曜日

若狭への旅 小浜 羽賀寺


奈良にとどまり、少しくこだわりすぎた(というかしばしネタ切れ状態)。
ここでちょっと旅に出てみよう。
行先は若狭小浜市…。若狭湾に面した漁港。しかし、小浜はなんとなく
心に染み入ってくる風情がある。(記憶では日本のフィッシャーマンズワーフと言われていたと思う)まさに猟師町の匂いにあふれている。
また、名高い鯖街道の出発地。この若狭で水揚げされた『鯖』を京
に届けるための道が鯖街道・・・。
この羽賀寺に、11面観音立像(重文)がある。下段に紹介してある像がまさにそのもの。記憶でしかないが、私の身長(171㎝)を多少上回るくらいの大きさであったと思う。11面観音像としての全体の印象は、国宝仏にも勝るとも劣らない仏様という印象だ。頭上面にも観音像そのものにも朱色が見事に残っており、向源寺の11面と比するといささかあでやかな印象ではあるが、すっきりとした立ち姿と1人でも多くの衆生をすくうために延ばされた右手は膝に届くほど長い。若狭の里山に残された小さな伽藍の中に、全く違う繁栄の名残をとどめた仏の世界が残されていた。
 

 但し、この羽賀寺アクセスが問題。小浜の駅からは電車もバス便もなかった。
駅近くで、レンタサイクルを借りるか、奮発してタクシーで行くかくらいしか方法がなかったと思う。もちろんマイカーやレンタカーを借りればなんということはないのはもちろんのことだが。

せっかくの若狭、少なくとも一日くらいはゆっくりと時間をかけて訪れることをお勧めしたい。
真冬や真夏でなければ、フィッシャーマンズワーフと言われる漁師町で自転車でも借りて、羽賀寺を訪れ、その後、港にあった一階に生簀があり、そこで魚を頼んで、2階で料理してくれる店もある。

また、小浜の灯台が印象的だ。
灯台の下まで、細い堤防を歩き灯台に背を預けて、入り組んだ港の風景を眺め、風を感じる時間はなかなかな得難い風情ではないだろか。
港では湾をめぐる遊覧船もあった。船に乗り、若狭の海を身体いっぱい感じることができる。
もちろん、鯖街道の起点、鯖をとことん味わうことは、いうまでもないだろう。
鯖寿司も絶品・・。伝える言葉が見当たらない。

下段に紹介してあるのは11面千手観音像。この仏様も羽賀寺の本堂に飾られている。


休み休み書いた知っtakaの仏像話だが、この辺でしばらくのお休みをいただこうと思う。

最近、知っtaka君、チョイ料理に関心も持ち始めた。
当たり前の親父の料理だが、知っtakaの料理話というコーナーで再登場したいと思っている。
来月初めからくらいのスタートか。乞わずご期待。お笑いください。


2013年8月17日土曜日

三重塔

宇治「三室戸寺」(別名アジサイ寺)

京阪電車で宇治駅(平等院)のほんの手前に三室戸寺駅がある。
6月のアジサイのころには、宇治駅からアジサイバスが運行されるようだが、バス運行の無い時、確かバスを乗り継いで訪れた記憶がある(徒歩でも15分くらいという案内があった)。残念ながら、三室戸寺には国宝仏はなかった。
                                     
 国宝仏はないが、十分び訪問の価値ある場所であることにに変わりはない。                                                                     
 この三室戸寺本堂には、全く公開されない「秘仏千手観音」があると紹介されていた。

年齢のせいかよく記憶にないが、この千手観音像、去年か一昨年特別開帳がされたように記憶している。そして、その秘仏も拝観したくてこの三室戸寺を訪ねた。しかし、この秘仏の余りの小ささ(小さくてあまりよくみえない)と、お寺の大仰な対応にいささか閉口した。(しかも、この秘仏、内木戸銭までとっていたような気がする、まるで、長野県のZ寺の秘仏開帳と同じくらい、参拝者を落胆させた・・・。)
この記憶は残念ながら確信はない。もし、これが私の全く別寺との記憶違いであれば、三室戸寺に関係するすべての人々に、心から謝らなくてはならない。
                                      
                                      
                                        


とはいいつつも、この三室戸寺、阿弥陀堂の中に置かれていた阿弥陀三尊像(重要文化財)はなかなかに素晴らしいものであった。阿弥陀如来像に加えて、両脇侍聖観音像、勢至菩薩像の三像がまさに西方浄土から、衆生を迎えるように、優しく私たちを包んでくれているような感覚になることができる。
重文・阿弥陀三尊像




三尊像全体の風情は、京都三千院の国宝阿弥陀三尊像と極めて、雰囲気が似たところがある。
特に両脇侍の雰囲気が大変よく似ている。

阿弥陀如来像本体は、『平等院』『法界寺』の阿弥陀像を
少しく小さくした感じではあるが、法界寺阿弥陀像と同様に定朝作と言われているようだ。真偽のほどは明らかにされてはいないようだが・・。

三室戸寺にはこのほか、
重要文化財として、木造釈迦如来立像(清凉寺式釈迦如来像=法衣(袈裟を両肩からかけている様式)、木造毘沙門天立像が置かれている。
毘沙門天は四天王の一体としては多聞天で、一体で置かれたときに毘沙門天と呼ばれる。戦いの守護神だ。
群雄割拠の時代、戦いの天才と謳われた上杉謙信の部隊の旗は『毘』の一文字で「風林火山」の武田勢と死闘を繰り返している。

三室戸寺への、私の記憶を別にすれば、重要文化財阿弥陀三尊をはじめいくつかの仏像の作品としてのインパクトは決して小さくない。
個人的には、もう一度、時間をかけて訪ねたい場所だ。
ただ、6月のアジサイのころは、やめよう。アジサイでにぎわう寺と、仏像拝観を同じ空間で味わうことは難しいだろう。

鳳凰堂、法界寺そしてこの三室戸寺の阿弥陀像、定朝作の真贋のほどは私にはわかり様もないが、疑いもなく証明されている平等院の阿弥陀如来像を心に刻みながら、残りの2寺を訪ねてみるのもまた、面白きかな・・・ではないだろうか。


2013年8月15日木曜日

東大寺法華堂 拝観再開!http://www.yomiuri.co.jp/stream/m_news/vn130516_3.htm

約3年をかけて修復、増強をしてきた東大寺3月堂が、今年5月18日(土)から拝観を再開した。
法華堂須弥壇及び諸尊像修理事業のため、約3年ほど拝観を停止していたが、今年5月に再開、この修理の間に様々な新しい知見が判明、いろいろな研究が進んでいくだろう。

再開された三月堂に安置されるのは、
 本尊不空羂索観音菩薩、梵天、帝釈天、金剛力士(阿吽)、四天王、執金剛紳(秘仏)の10躰

 脇侍として不空検索観音を守護していた 日光・月光菩薩両菩薩をはじめ、弁財天、吉祥天、地蔵菩薩、不動明王の 
本尊 不空羂索観音
6躰はこれからも東大寺ミュージアムに置かれたままとなる。
 (執金剛神の開扉(12/16)は、平成25年度から従来通り)

 
今回の分離陳列には明確な理由が読み取れる。
三月堂に残された諸像は乾漆造りであり、東大寺ミュージアムに分離して置かれる像は、『塑像』となっている。


(国宝 不空羂索観音像 362.0 cm 乾漆造 天平時代)
三月堂に置かれる塑像は執金剛神像1体、この像は
まさに秘仏、毎年  12月の1日しか公開されない。
しかも、三月堂の中のひときわ、しっかりした厨司の中に安置されている。
残念ながら、10回以上3月堂を訪れた私も拝観したことはない。

ただ、この執金剛神像の拝観がかなわなくても、っ天平、平安の傑作がまじかに立ち並ぶ法華堂はいつ、訪れても飽きることのないお堂であった。

塑像はまさに粘土で作られたもの、大きな地震等が来ればひとたまりないだろう。現在建築の技術を凝縮して作成されたであろう「東大寺ミュージアムに」置かれることはやむなしと思わざるを得ない。

区分仏像名高さ技法時代
国宝不空羂索観音像362.0 cm乾漆造天平時代
国宝梵天像402.0 cm乾漆造天平時代
国宝帝釈天像403.0 cm乾漆造天平時代
国宝金剛力士像(吽形)306.0 cm乾漆造天平時代
国宝金剛力士像(阿形)326.4 cm乾漆造天平時代
国宝持国天像(四天王)309.0 cm乾漆造天平時代
国宝増長天像(四天王)300.0 cm乾漆造天平時代
国宝広目天像(四天王)304.0 cm乾漆造天平時代
国宝多聞天像(四天王)310.0cm乾漆造天平時代
国宝執金剛神像170.4 cm塑造天平時代
国宝(伝)日光菩薩像207.2 cm塑造天平時代
国宝(伝)月光菩薩像204.8 cm塑造天平時代
重文吉祥天像202.0 cm塑造天平時代
重文弁財天像219.0cm塑造天平時代
重文地蔵菩薩像84.3 cm塑造鎌倉室町
重文不動明王像86.5 cm塑造鎌倉室町

    上記の左右に紹介してあるのが「不空羂索観音像の脇侍として飾られていた日光・月光菩薩だ。以前にも触れたが、左が太陽のような温かい光で衆生を守日光菩薩像、模擬が知のの光で、見守ってくれる月光菩薩像。確かに両像のお顔はわずかに違いがある、と見えるが皆さんにはどう見えるのだろうか。
 
 
 
「このほか代表的な塑像仏は下段に1体だけ紹介したが、新薬師寺の12神将」
 
そして、4体のうち2体のみだが、東大寺戒壇院の四天王立像だろう。
塑像は粘土を駆使して作成しているだけにその表情は素晴らしく心の有り様が見事に表現されているように思えてならない。この新薬師寺の12神将の置かれた本堂も、戒壇院も見事なお堂ではあるが、震災等から完全に守られているとはとても思えない。これらの像も、いずれ近いうちに、現在の収蔵法とは異なった形を取らざるを得ないのではないだろうか。ふと、そんな思いが心をよぎった。
新薬師寺・バサラ
新装なった法華堂を訪ねるとともに、東大寺ミュージアム、戒壇院、そして新薬師寺を訪ねる旅がすぐにやってきそうだ・・・・・。

2013年5月25日土曜日

国宝・観心寺如意輪観音

<妖艶な仏=如意輪観音像>

数ある仏像の中でも、最も妖艶な感じを与える菩薩像が如意輪観音像ではないだろうか。この印象は、完成度が高く唯一国宝に指定されている大阪「河内長野」の観心寺の如意輪観音から感じた印象が非常に大きな影響をを与えていることは事実だろう。いささかふくよかで、片膝を立てて、一手を右頬に据え宝珠を身体の中心にもち、像全体に朱色が、残っており、まさに色香を帯びた表情で蓮台の上に静かに座っている。


 
重文・醍醐寺如意輪観音
重文・室生寺如意輪観音



如意輪観音は立像は多分ないだろう。一般的な如意輪観音は6本の手を持ち、その二つの手に如意宝珠と法輪を持っている。如意宝珠は迷える衆生に功徳を施し、法輪は煩悩の打破のためにある。




室生寺、醍醐寺の如意輪観音像は重文指定になっている。その造形は観心寺の如意輪像に極めて近い。但し、観心寺の如意輪像の美しさ、妖艶さが圧倒的で、室生寺、醍醐寺の如意輪観音菩薩のインパクトはあまり強いとは言えないだろう。この観心寺の如意輪観音像は毎年4月の16日、17日の2日間しか拝観することができない。南海電鉄の河内長野・・。まさに一日近くを費やして訪れる菩薩像だ。その労苦を割り引いても一度はおめにかかった方がと思わせる仏様であることは間違いがない。室生寺や醍醐寺には他にも見るべきものがあまりに多い。ともに、如意輪観音菩薩にお目にかかるために訪れる寺ではないのかもしれない。ただ、観心寺にはこの仏様一体しかお目にかかるべきものはない。その思いがこの如意輪観音様を拝観した時に、かえって強い印象でこころに押し寄せてくるのかもしれない。

付記だが、中宮寺の弥勒菩薩半跏像、宝菩提院の国宝菩薩半跏像も如意輪観音の変化仏と言われていると記憶している。中宮寺の弥勒像までは、女性的なそして妖艶な印象を強く与える菩薩だが、宝菩提院の半跏像は、むしろ凛々しく見える。
なぜ、如意輪像と伝えられるのか、女性的な存在と、凛々しい若者のような印象を与える仏像と同じ、仲間として紹介されるのか・・・・もう少しく、知識の蓄積が必要なのかもしれない。
そして、何より、現地に赴くことが必要だろう。そういえば、ここの所、半年近く、仏様にお目にかかりに行っていない。
この秋には、奈良、そぞろ歩きの旅に出よう・・・・か。