2012年7月21日土曜日

新薬師寺 最古最大の12神将

日本最古・最大の12神将 新薬師寺

JR、近鉄どちらからでも車で約10分(バスあり、不便)のところほとんど街中と言っても良い場所に、さりげなく新薬師寺がある。この新はあらたかな(霊験あらたか・・)という意味でご利益が大きいという意味の”新”で薬師寺とは何の関係もない。聖武天皇の病、平癒を願ってあらたかな薬師寺を光明皇后が建立されたというらしい。

新薬師寺本堂


本堂には中央の薬師如来坐像を取り囲むように、12神将の姿が居並んでいる。
12神将は薬師如来とそれを信じる人々を守る神々。

この12神将は像高160㎝前後か、塑像(塑造=泥や粘土を材料としたもの)としても傑作と言われている。


12体それぞれが、動きの中の一瞬をとらえたような姿で、またそれぞれの装具を手に持ち時間を超えた時空の中にでもいるようだ。

12神将のなかで最も有名なのが左下に紹介してあるバサラ像だ。この像は、ずいぶんと昔の話だが、切手にもなったと記憶している。


憤怒と怒髪・・・。
悪しき心を持った人を決して許さない、12神将の姿は、実にすばらしい存在感を持って目前に立っている。
私は戌年だが、このバサラも戌年の将として紹介されている。
定かな記憶ではないが、別のお寺でお目にかかった12神将は、バサラは戌年の将ではなかったように、記憶しているが・・・。
←薬師如来坐像


⇒バサラ像全体

この12神将を創建当時の姿に復元したものが右側下段の、まさに極彩色で彩られたバサラの姿だ。これは実物として復元したものではなく、堂内で流されているCGで復元されたももので、その過程が映像で流されている。

現在の12神将像は、ほとんど彩色された色が剥げ落ち、日本文化の象徴のように言われる『ワビ・サビ』そのものの代表のような存在だが、この12神将にとどまらず、ほとんどの仏像が金色を中心に極彩色に彩られたものであったらしい。
宇治の平等院鳳凰堂などが有名だが、鳳凰堂の中心に置かれた阿弥陀如来像を囲む堂内はまさに極彩色に彩られた、人間の来世の繁栄を願って作られたものなのだ。
ワビ・サビなどという文化は茶道などが発達して生れた価値観だが、当時は多くの人々が、来世の幸せを願っていたものだ。
今日の仏像ファンの多くが、いかにもワビ・サビに代表されるニッポン人の
文化のルーツを訪ねるように、仏像めぐりの旅をしているが、仏教も象徴としての仏様たちも建立当時の意味や目的とは全く異なっている。

私自身も間違いなくその一人だ。仏教や仏像たちが時代の変化の中で
その位置づけも役割も大きく違っていることは当然のことと思う。
但し、時にはこうした仏様たちが、何のためにつくられたのかという、建立当時の真の意味を知ることも大切だと思う。
日本最古・最大、そして素晴らしい仏様にお会いしながら、そんなことを思い出させてくれるお寺・・・それが新薬師寺だ。
是非足を運んでほしい。きっと、何度も訪れることになるに違いない。

新薬師寺の項…終わり。



 

2012年7月6日金曜日

奈良の仏像!ついに法隆寺へ

仏像勝手ランキングは原則として、一体の仏像をランキングづけしたものだが、12神将や四天王など一体として分類できないものも多い。先に紹介した法華堂や、東寺の講堂などもどれか一だけを選び出すことも難しい。


寺院全体という観点から選べば、法隆寺に勝るものはないだろう。私の勝手ランキングは、感動ランキングみたいなものかもしれないが、基本は一体または一つのお堂を前提にしたものだ。従って多くの選び方に偏りがあるのは間違いがないが、勝手ランキングなのでご容赦を!。
ランキングのほんの一部を紹介すると
1.向源寺(渡岸寺観音堂) 11面観音立像
2.聖林寺            11面観音立像
3.法華堂           不空羂索観音像

5.東寺             講堂立体曼荼羅
6.広隆寺            弥勒半跏思惟像
7.新薬師寺          12神将像・・・・・
と続くことになるが、その伽藍全体、そしてあまたある国宝として考えれば「法隆寺」は別物だ。4位というのは
おかしいという気がしなくはないが、全体としての法隆寺の評価ではなく、いくつかの法隆寺
の仏像への感じ方ということでお許しを得たい。

法隆寺については、全くの脇道から入るが、仏像ではなく塔のことなので、当然ランキングには入れていないが、「法隆寺五重塔」にちょっと触れたい。
この像は離れて見ると六重塔にも見える。
建築物で、建物の下方につける飾りの階を裳階というそうだ。
構造上は身舎(本屋:もや)の柱の途中に屋根を取り付け、その下に階をなすものである。

*最も代表的なものは薬師寺の3重の塔(東塔、西塔)が一見すると六重の塔に見えるが
  これはまさに3重の塔にそれぞれ裳階がつけられている。構造物としての塔は3重の塔だ。

以下、代表的な仏像に触れたい。
左にあるのが、法隆寺本尊「釈迦三尊像」だ。法隆寺も相当回訪問し、その度にお目にかかっているが、実は圧倒的なインパクトを得た記憶があまりない。
それは、多分、目の前に立ったことがないからかもしれない。結構、暗い本堂の中に置かれており、格子の扉を通してしか見えない。一度でいいから、間近でゆっくり拝観したいものだ。

その点から言えば右に紹介した9面観音像(国宝)は見事だ。
実物はわずか40㎝くらいだったと思う。作品としての完成度は極めて高い。


もう一つ、知っtakaぶると右に紹介した夢違観音像(国宝)だ。

夢違観音( ゆめたがいかんのん) まず この名前がいい。また確か 悪い夢を見た時に この観音様にお願いをすると、 いい夢に取り替えてくれるというそんないわれを知った。実に、珍しい観音様だろう。私は他にしらない。
法隆寺の仏像を語るとすれば、やっぱり百済観音像は外せないだろう。若い寺女性が中心になって奈良の仏像ランキングを実施していた時に知ったが、その時圧倒的な1位はこの百済観音像だった。この仏様は細部が実に美しい。八頭身美人の象徴のように言われていたと記憶しているが、まさに細身の2メートルほどの仏像で、全体に印象は柔らかい、優しい仏様の代表的なものだろう。土門拳の写真集にはこの観音様の左手が大きくクローズアップされていた。2本の指で水瓶を優しく支えている。その指の表情だけでも見るに値するかもしれない。



最後に紹介するのが、法隆寺東院伽藍にある八角のお堂「夢殿」秘仏、救世観音(くせかんのん)様。1年に数日しか拝観することのできない秘仏でまさに聖徳太子そのものと言われているように記憶している。現在も論争が確かあるはずだが。梅原 猛著「隠された十字架」の主人公だった。
 この本も私の仏像めぐりに多大な影響を与えた本の一つだ。聖徳太子の一族が蘇我氏(?)によって、根絶やしにされ、その聖徳太子の怨霊を閉じ込めるために、太子と等身の像を作り、それを仏教世界では珍しい八角のお堂に閉じ込めたという内容だったと思う。しかも、普通光背は台のある柱につけられているが、この救世観音像の光背は、観音像の頭に打ちつけられているというような本であったと思う。仏教世界の違う一面を教えてももらった本だった。この話、ほとんど知っtakaの記憶だけで書いているので、事実と違っていたらご容赦ください。また、投稿のほどお願いいたします。
法隆寺話は、このほか四天王とか書きたい話が尽きないが、ひとまず終了とさせていただきますう。