2012年8月11日土曜日

聖林寺 11面観音立像

奈良桜井の郊外、奈良盆地を見下ろす小高い丘の上に、むしろ寂れているような感じさえ与える小寺が聖林寺だ。

この本堂に置かれたご本尊地蔵菩薩は、いささか拍子抜けするくらいのんびり、のっぺり(失礼)している。
この本堂の回廊から、石段を上った奥に、国宝聖林寺11面観音像が置かれている。

木心乾漆像(木の枠の上に布や木くずを漆でまとめて、像の形を造る。)
この観音様は奈良時代の終わり、天平時代を代表する傑作と言われている。
11の頭上面のうち、2、3面は失われている。
しかし、像高2m以上、しかも70センチほどの台座の上に置かれた観音像は、一瞬で
人の邪心を射ぬく、眼光をしているように感じる。
おそらく初めてお目にかかった時の私の感情は「畏怖」という言葉ではなかったかと思う。

しかし、その像の前にしばし身を置き、拝観していると、ゆっくりと自分の心が解放され
ていく。最初にお目にかかったのは、もう20年も前になるが、その時、私の頬には
言葉で表すことのできない“涙”が自然と流れてきたことが忘れられない。
(その時、心に大きな罪を背負っていたとも思えないが・・・)

その後、4~5回は訪ねただろう。橿原神宮や桜井周辺には訪れる場所はいくつかあるが、
この周辺を訪ねた時、どうしても訪れないで済ますことがができない観音様だ。

11面観音様はほとんどがわずかに腰をひねり、身体に比してやや長い右手で、迷える
多くの衆生を救うと言われている。
前述の渡岸寺の11面などが代表的と言えだろう。
しかし、この聖林寺の11面様は、正対している。まさに一部の隙も見せないと言っても
過言ではないだろう。

この国宝11面観音像とよく比べられるのが、京田辺市の観音寺の11面観音だ。
私にはいささか違う気がするが、作品としては良く比較をされるようだ。
満開の桜と多武峰
この像は、明治時代に来日した哲学者、美術研究家のアーネスト・フェノロサが激賞したことで知られるようになった。
和辻哲郎も作品『古寺巡礼』(大正8年・1919年刊)でこの像を天平彫刻の最高傑作とほめたたえている。

聖林寺のひそかな楽しみは、拝観者が実に少ないということだ。
最も最近の昨年の訪問では、4,5組の拝観者に巡り合い、にぎわっているという感じさえ受けたが、過去の記憶ではいつも一組か二組であったと思う。
聖林寺本堂横の休憩所では、以前は抹茶を楽しむことができた。今は無いようだが・・。この場所に身を休め、抹茶を楽しみながら、遠く奈良盆地や多武峰を眺めていた。心も時間も解き放たれた自分がいた。
あまり多くの人でごった返すようにはなってほしくはないが、なぜ奈良の仏像拝観者か訪れないのかがわからない。
この近くの長谷寺には老若男女、多くの人々が引きも切らさず訪れるが、この聖林寺にを訪れる人は少ない。
桜井駅からバスで、この聖林寺前を通り過ぎて、中大兄の王と中臣鎌足が蘇我氏打倒の密談を重ねた「談山神社」に向かう人は少なくはない。
間違いなく、この桜井を訪ねることはこれからも相当あるだろう。しかし、談山神社や長谷寺に行くことはないだろう、
だが、この聖林寺に立ちよらない事は無いだろう・・・。


仏像の中でも11面観音が好きだ。現在日本には国宝11面様は7体ある。
次回は11面観音様について書いてみよう。






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