2012年6月16日土曜日

<奈良の仏像>シリーズNo.2             

奈良 東大寺から始めたからには、戒壇院に触れない訳にはいけない。


東大寺・戒壇院
東大寺大仏殿の西側に、まさにひっそりと佇むお堂が戒壇院だ。
東大寺を訪ねる人のほとんどが目指す大仏殿から、西側200~300メートルほど離れたお堂であるからか、人の姿も圧倒的に少なく、この戒壇院に喧噪はない。
しかもこのお堂に置かれた仏像は『四天王像』のみ。言ってみればただの
4体の仁王様が置かれただけのお堂だ。

しかし、この四天王はただ者ではない。
三月堂の脇侍日光・月光菩薩と同じ塑像だと思う。お堂の中は拝観をする
場所とわずか数段登ったところ、須弥山の四方を守るように4か所に四天王像が置かれている。

戒壇とは受戒(僧侶として守るべきことを履行する旨仏前に誓うもっとも厳粛な儀式)が行われる場と紹介されている。

私のつたない知識から言えば、仏のおられる須弥山で、帝釈天に仕え、まさに四方を守護している仏様が四天王
持国天・増長天・広目天・多聞天
ということだろう。

前置きはこの辺にして、この四天王は天平時代の傑作。
その姿は素晴らしいの一言に尽きる。
最古の四天王として有名な法隆寺の四天王も素晴らしいが、知っtakaとしては、この四天王像がNo.1と思う。

多聞天
四天王の中で、多聞天は単独で本尊とされ事もあり、その場合は「毘沙門天」と
言われていると思う。
戦いを守護する仏で、
これも定かな記憶ではないが、戦の名将と言われ
武田信玄を最後まで悩ませた軍神「上杉景虎」の守護仏が、この毘沙門天であったと記憶している。景虎は自らを毘沙門天の生まれ変わりと信じていたという記述もある。
映像のシーンで、上杉勢の旗は「毘」の一文字であった。

これも仄聞だが、上杉景虎が存在していなかったら、武田信玄が天下を取っていたかもしれない・・。
5回にわたる川中島の戦いをはじめ、謙信にあまりに多くの時間と力をとられ、京への道が計り知れないほど遠い道になってしまった。そして、京への途上、病に斃れる。
持国天
四天王像の足下には、邪鬼が踏みつけられているがこの出来栄えも見事だ。

個人的には、この四天王すべてが素晴らしい出来栄えと思うが、圧倒的に心を揺さぶられる像は、右にアップで紹介してある『広目天像』だ。

額にわずかにしわを寄せ、遠くの世界を見据え、人間の心の中までを射ぬいているような
眼光の鋭さだ。
手に持つ物は筆と書(巻物)。この広目天には武器はない。心の目が武器の代わりをなしているのかもしれない。
そして、知の力だけが、悩める私たちに最も必要なものと伝えようとしているように思える。



戒壇院の案内の僧も、最近女性にこの広目天が、大変人気があると伺った。

このお顔は底知れぬ知(智)を秘めた男の顔の象徴のような存在に思える。

人間40なったら自分の顔に責任を持て!。こんなメッセージを聞いたことがあるが、広目天像の前に身を置くたびに自分は、どんな生き方をしてきたのだろうか。そしていささかでも知を感じてもらえる顔になったのだろうか・・そんな事を、いつも思い至らせてくれる仏様である。

まだまだ書き続けたいが、紹介したい仏様が、列をなしているので、東大寺編 ひとまず終了・・・・。



















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